バイオリズムはとうに狂った



夜になっても、昼間照り付けた日差しの尾を引くように、暑さが消えない。
身体の表面を張り付くような熱気がまとわりつく。雨でも降っているように汗が流れていた。
自販機で買ってきたスポーツドリンクを一気に喉に流し込む。自販機から取り出した時から濡れていたけれど、結露した水滴がオレが歩いてきた道のりに印をつけるようにポタポタと垂れていっていた。
まだ黒子っちはお風呂に入っているのかな。そう思って扉を開いたのに、黒子っちは既に入浴を済ませて、布団の上で濡れた頭をタオルで擦っていた。

「早いっスね」
「黄瀬君どうぞ。お湯張ってありますから」

寝間着に指定された夏の体操服を着た黒子っちは布団の上で大きく足を伸ばしている。
いつも見ているはずなのに、短パンから覗く白い足が目に眩しくて、オレはさりげなく目をそらすと鞄を引っ付かんで脱衣場に向かった。


バスケ部の夏合宿に参加していた。
二泊三日だけだけど、その短時間で詰め込むだけ詰め込むように朝から晩までみっちりしごかれて、オレの身体はもうへとへとだった。
特にキャプテンと紫原っちが人一倍練習したがるものだから。他のメンバーはともかく、レギュラーは付き合うのが当然みたいな雰囲気があって、最後まで練習するしかなかった。
正直寝床に直行したい。
最後までピンピンしてた、紫原っちとキャプテンは人間じゃないと思う。
だけど、寝るにしてもこの汗だくな身体は何とかしたかった。
大浴場はあったけれど、どうせ人でいっぱいだろうから、部屋にある内風呂で良いって黒子っちが言って、オレも次に入る事にした。確かに今の体力じゃ、大浴場に行くのも億劫だった。
もっとも、それだけが理由じゃなかったが。

オレは脱衣場で入浴するための準備を整えると、サッサと風呂に入ることにした。
汗をかいた後の風呂は本当に気持ちが良い。
湯船に浸かると程よい熱さのお湯が、じんわりと身体に染み込むようで、思わず溜め息が出た。
足を伸ばすことが出来ないのは残念だけど、こんな風に1人でゆっくり出来ることを考えれば、大浴場に行かなかった事は正解だったに違いない。

それから・・・
オレは存在を主張し続けている下半身に手を這わした。
実は黒子っちが内風呂を使うと聞いて、まずはじめに浮かんだのはこちらの理由の方だった。
気を紛らすために自販機に行ったりもしたけれど、結構前から前の方が張っていることを、自分でも気付いていた。
黒子っちがさっきまでこのお風呂に入ってるって想像するだけで、オレの心臓は痛い程波打っている。

オレを取り巻くこのお湯は、黒子っちの全身に触れた。手にも、足にも、腹にも、胸にも、太股にも・・・
頭の中が沸騰するようだった。耐えられず、オレはすっかり反り立ったそれをお湯の中で扱き始める。お湯の中でするなんて初めてだったけど、昂った脳はそれすら快感に還元した。
濡れた室内に、思わず漏れた熱い溜め息が響く。
手は止まるどころか激しさを増していった。ただ竿を擦っているだけなのに、ヤバイくらい気持ちが良い。
目を閉じると湯煙が黒子っちの姿を形作って、耳に届くジャブジャブという水音の合間に、彼の消え入るような声が聞こえてきた。
オレは黒子っちを汚す気持ちでお湯に精を吐き出す。本当に、黒子っちの全身に掛けた気分だった。
鳥肌が立った。

「・・・オレって最低だ」

快感に酔いながら、頭の中の冷静な部分が呟く。
黒子っちに申し訳なかった。
今も壁の向こうにいるだろう黒子っちは何も知らない。一枚壁を挟んだ向こうで、オレが黒子っちを想像して抜いているなんて。ましてオレが、笑顔で話し掛けながら頭の中でキスをしたり、身体を奥まで蹂躙する想像ばかりしているなんて想いもよらないだろう。
手探りで風呂の栓を見付け出すと、迷うことなく引き抜いた。
ゆっくりと水位が下がっていくのを眺めながら、虚しさに顔が歪む。
こんな風に全部流れてしまえば良いのに。と思いながら、オレはシャワーを捻ると頭から水を被った。



少し居心地悪かったが相部屋に戻ると、もう1人同室になった青峰っちが戻ってきていた。
黒子っちは寝ていて、少しホッとする。

「先にお湯もらったっス」
「ああ。次オレ入る。テツは?」
「黒子っちはもう入ったっスよ。あと、お湯流しちゃったっス」
「シャワーで良い」

青峰っちはバサバサと着替えだけを持って脱衣場に消えた。
寝ている黒子っちと二人きりになって、沈黙が走る。

「・・・」

ごくり、と唾を飲み込んでオレは黒子っちのそばに忍び寄る。
疲れた反動か、さっき寝たばかりだというのに熟睡しているように見えた。
寝息にあわせて胸が上下している。
オレの指が、まだ水気を含んだ黒子っちの肌に触れた。柔らかなくちびるを親指で撫で、頬を指の背でくすぐる。
思わず溜め息が零れた。こんな風に触るのが夢だった。
黒子っちが起きている時にこんな触り方なんて出来ないから。

綺麗な水色の髪から伝う雫を指で潰すと、泣きたくなるような気持ちが身体中を駆け巡った。

「黒子っち・・・!」

起こしたくなかったから吐息すら抑えていたのに、オレは潰される寸前の昆虫のような、押し殺した悲鳴をあげていた。
お願いだから、起きて。目が覚めた時に初めて目にした人物を好きになるように、硝子玉みたいな目にオレを焼き付けて欲しい。
それとも、口付けで恋心が宿ってしまえば良いのに。
埒もあかないことを考えながら、オレの体はそれ以上動かなかった。
ただただ、黒子っちの眠った顔を見詰める事しか出来ない。


どれくらいの時間が経っただろう。突然黒子っちがパチリと目を開けて、起き上がった。
惚けたようなオレに、黒子っちは体を捻って

「黄瀬君のことが好きです」

起き抜けにそんな事を口走るものだから、耳を疑う。

「なに・・・言ってるんスか・・・!?」
「ずっと好きだったんです。ボクたち付き合いませんか」

黒子っちの目は真っ直ぐにオレに向き合っていて、笑いで誤魔化そうとしたオレの浅慮を吹き飛ばす。
・・・え・・・マジなんスか。本当の、本気にして良いんスか。本気にして、しまうよ?

理解しだした途端、オレの全身に血が巡りだす。
自分で、顔が真っ赤になっているのが分かった。
でも、きっと。黒子っちは次の瞬間「冗談に決まっているでしょう」なんて笑い出すに決まっている。
だってそのくらい、あり得ない。
黒子っちはオレのことなんか・・・

黒子っちは目を閉じた。まるで、何かを待つような仕草に、何を待っているのかなんて野暮な考えは持っていない。
でも、え。嘘。
まるで吸い寄せられるように黒子っちに顔を近付けながら、頭の中にはそんな単語がぐるぐる浮かぶ。

オレ、黒子っちへの想いを捨てなくて良いのかな?それどころか、あんなに焦がれていたくちびるに・・・キス、して、良い、の?

待っている黒子っちの睫毛を見つめながら、、オレも静かに目を閉じていき。
耳の奥まで心臓の音が聞こえてきて、うるさい。
邪魔しないで欲しい。想像してたのは、こんな切羽詰まったものじゃなくて、

もっと




自分の鼓動の音で目が覚める。まるで試合直後のように心臓がバクバクいっていた。空調が整っている中、額に浮かんだ汗を甲で拭って、オレは暫く暗闇の中で瞬きする。
状況を把握して、長い長い息が溢れた。

やっぱり、そんなわけは無かった。黒子っちと両想いになりたいオレが見た、虚しい願望を、目を閉じた間に見ていたのだ。
現実には眠る黒子っちは目を覚まさなかった。お風呂から上がった青峰っちといくらか話して、お互い疲れていたからすぐに寝たのだ。
それにしてもリアルな夢だった。
がっかりしながら、夢の中だけでも黒子っちと両想いになったことは嬉しくて、続きを見せてください。と神様に願って目を閉じた。
残念なが、次に目を開けた時は朝になっていたのだが。






合宿も無事に終わり、帰りのバスの中。
オレは短い眠りから、周りの騒がしさで目を覚ました。
時計を見ると出発してからさほど時間は経っていない。まだ元気のある奴らは近くの奴と喋っているみたいだ。
もしここにキャプテンがいれば、今頃バスの中は静まりかえっているかもしれない。
だけど、いくつかに分かれた別のバスに彼は乗っていた。
オレの隣の奴は既に寝ていた。もう一度眠るか、と柔らかな椅子に体を預けた時、オレの視界に黒子っちが飛び込んできた。
斜め前に座った黒子っちは、何をするわけでもなく窓の外を見ている。
・・・いや。黒子っちの隣に座っているのが青峰っちだってことを思い出して、オレは悲しい気分になる。
本当に窓を見ているのかもしれないが、通路側に座った黒子っちが窓を見ようとしたら、先に青峰っちを見ることになるんだ。
席なんて決まっていなかったのに、当然のように青峰っちと座ってしまった黒子っちが、少し憎らしい。
黒子っちはオレの気持ちなんて知らないのだから恋人とはいかなくとも、部活で一番仲が良いと自負しているオレを放って、青峰っちを取るなんて・・・

胸が落ち着かなくなり、立ち上がると、隣の席の奴を起こさないようにして通路に出る。
黒子っちの席まで行くと、なんだ。青峰っちはグッスリ眠っていて、黒子っちは暇そうに窓の外を見ていた。

突然現れたオレに「黄瀬君?」と目を瞬く黒子っちに笑いかけて、オレは椅子と椅子の間に備わっている折り畳み式の椅子を組み立てた。

「合宿疲れたっスね」
「はい」
「でも楽しかったっス」

皆とバスケをするのは楽しかった。それに、黒子っちと一緒にいられた事が幸せだった。
こんな機会でもなければ、黒子っちと一緒の部屋で寝ることなんてなかったのだし。

黒子っちはオレの言葉に頷いて、窓の外を見た。
流れていく景色を見つめる黒子っちに、図らずしも胸がときめく。凛としたその横顔に、どれだけ見惚れても足りない気がした。

「こんな風にもっと出かけたいっス。あっ、夏休みにどっか行かないっスか?黒子っちは、海好き?」
「・・・好きですけれど」
「じゃあ都合のいい日に、海行こうよ」

黒子っちと海に行ける!そう思うと嬉しくて、オレは俄然テンションが上がった。
どうせなら近場の海なんかより、少し遠出してもっときれいな場所を見つけなければならない。人が少なめで、でも人気のある場所を、誰かに聞いておこうと思った。
それから水着を買いに行かないといけない。
なんだったら黒子っちと水着を買いに行って、海に行く手もあるかもしれない。そうしたら二日、黒子っちとバスケ以外のことで会えるのだから。
オレのこの喜びようは、きっと普通ではないだろうから、表面的には大人しく笑っているだけにとどめていたけれど、本当ならバスの中で飛び上がりたいくらいだった。
なのに

「じゃあ、青峰君や紫原君も誘いましょう」

黒子っちが当然といった口ぶりで言った言葉に、上がっていた熱が急に冷めてしまう。
でも、普通はそう考えるものだろうな。なんて思ってしまったオレは、嫌だと言うことが出来なかった。
勿論そのつもりだったという顔で頷いて

「そうっスね!後で言っておくっス」

なんて、口からは言葉がたやすく出て行く。
こんな風に取り繕う事なんて慣れっこだった。
残念に思う方が間違っている。黒子っちと海に行くことができるだけで上々だと、冷静な部分に慰められながら。

「それから、その前に水着も買いに行こうよ」
「・・・スクール水着じゃやっぱり駄目でしょうか」
「駄目っスね!」

オレがハッキリ言うと、黒子っちはやっぱりか。という様子でため息をついた。
もしかすると青峰っちや紫原っちなんかはスクール水着で良いって言うかもしれないけれど、オレが居る限り、そんな事は許すつもりはなかった。
スクール水着なんて、同じクラスの、しかも二クラス合同なんだから、隣のクラスの全員が見ている。
黒子っちの水着姿を知っている。
だけどオレは、他の奴らが知らない黒子っちが見たかった。
他の奴らがどれだけ想像しても見る事の出来ない、特別な時間を共有したいのだ。
だけどそんな本音は押し隠して、建前は「そんなんじゃ女の子にモテないっスよ!」と言っていた。

「今回の海は、夏のビーチで女の子たちを虜にする、目指せ海の妖精!帝光バスケ部レギュラー出張版っス!」
「なんですかその頭の悪そうなものは」
「今考えたっスよ!」
「・・・レギュラーという事は、赤司君や緑間君も誘うんですか」
「いや、それは・・・」
「そうですよね」

出来るだけ人数が少ない方が良いという意味だけでなく、あの二人は誘わない方がいいだろうと思う。黒子っちも同じ意見らしく頷いていた。
ちょっとホッとした。

「なるべく二人の耳には入らないようにしないといけませんよね」

もしも赤司君に知られたら、練習量が倍増することもありえそうだと、黒子っちは真顔で言った。
オレもそう思う。
黒子っちと二人きりで海に行きたかっただけで提案したんだけれど、ミッションを達成するのはやや難しいようだ。
だけど、黒子っちの水着姿を見るためなら、オレは何だってしてみせる。

「・・・もう寝ます。黄瀬君も、休んでおいた方がいいですよ。学校についたあとは焼き肉で打ち上げらしいですから」
「そうっスね・・・おやすみ、黒子っち」

黒子っちは青峰っちの方に首を向けると、静かになった。
多分まだ寝ていないけれど、目を閉じているんだろう。
オレはTシャツの襟からのぞく黒子っちの白い首筋を舐めるように見つめた後、目を閉じた。
目を閉じても、窓からまっすぐに差す光を浴びた、透明な肌はしっかりと瞼の裏に残っていた。


やや気落ちした心を抱いて眠る体制に入っていたオレの耳に、信じられない囁きが聞こえてくる。

「すみません黄瀬君。つい、恥ずかしくて皆で行こうなんて言ってしまって。本当は黄瀬君とふたりで行きたいのに・・・」

ハッとして目を開くと、黒子っちが驚いた顔をしてこちらを見ていた。
オレがもう眠ってしまったんだと思っていた顔だった。
黒子っちの顔が、みるみる赤くなって、柔らかそうな耳まで赤くなっていた。
顔をそむけようとするのを、思わず手で頬を掴んで止める。

「黒子っち、今の・・・!?」
「見ないでください。恥ずかしいです・・・!」
「今の本当っスか?オレも、オレも黒子っちと二人だけが良いっス」
「黄瀬君・・・」

無理やりこちらに向けている首から力が抜けて、黒子っちは潤んだ目でオレを見つめてくる。

「すみません。ボク、恋愛とか初めてで、どうしていいのか分からなくて・・・」
「れんあい・・・?」
「ボクたち昨日から恋人同士になったんですよね」

いつの間に、そんな事になっただろうか。
いや、確かに、黒子っちに告白されたんだ。昨日の夜、お風呂から上がった後、黒子っちに好きだって伝えた。
なんだ。オレ達は恋人同士だったんスね。
黒子っちは涙の浮かんだ目を伏せる。

「海・・・みんなに内緒で行きましょう。もっと黄瀬君と一緒にいたいです」
「勿論っスよ。バスケの休みの日に、沢山、いろんな場所に行こうね。海にも山にも、バーベキューだって。黒子っちとしたいこと沢山あるっス!」

オレは歓喜に、声が掠れそうだった。
黒子っちからこんな言葉を聞くことが出来るなんて。
そして夏休み中、黒子っちと一緒にいられるなんて。それを黒子っちも望んでいるなんて。
まるで夢みたいだ。
嬉しい気持ちで相手を見ると、黒子っちはそっと微笑んで、手を握りしめてくれた。

「黄瀬君」

「くろこっち・・・」



「黄瀬君、もうすぐバスが着きます」

がたん、とタイミング良くバスが揺れて、シャボン玉が弾けるように目を覚ましたオレは、黒子っちがこちらを見ているのを見た。
だけれど、黒子っちの目には全く涙が浮かんでおらず、練習中に見せるような涼しい顔をしていた。
自分の手を見ても何もならない。黒子っちの両手は、膝の上で緩く握られている。

「君の場所だと通路がふさがっているので、元の場所に戻った方がいいです」

寝ぼけてわけが分からない頭で、黒子っちに言われるまま席を立ったオレは、元の席に腰を戻してからスポーツドリンクを一口飲んだ。
どういう事だろう。
ついさっきまでの甘い雰囲気はどこに消えてしまったのか分からない。

・・・・違う、あれは夢だ。
オレは自分の額に拳を当てた。

黒子っちが向こうを向いて寝てしまったあと、あれからしばらくしてオレも寝たんだ。
それから黒子っちが言ってきたことは全て夢だった。
短い、幸福すぎる夢をまた見ただけ。

ようやく現実が飲み込めたオレは、椅子の上で脱力する。
幸福からの転落は、地面の上に戻ってきただけのはずなのに、地獄までまっさかさまに落ちてしまったようだった。
うつむいたオレの体に、バスが停車する時にかかる負荷がかかる。
ゆるやかに駐車場についたバスは、ガタガタと数回揺れた後、動きを完全に止めたのだった。



to be continued ...

by ヒトデ (11/05/16)

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