恋毒(こどく)に侵されて



部活が終わって、部員の殆どが帰路についた中。
今日もたっぷりしごかれた後輩がため息とも歓声ともつかぬ声を出しながらベンチから足を投げ出すのを、先輩である笠松は呆れた顔で見下ろした。

「お前、あれくらいでヘバツてんじゃねぇよ」
「あれくらいって…先輩たち、俺ばっかりにパス回してきたくせに!さすがの俺でもあれはキツイっスよー」
「馬鹿。あれは愛の鞭って言うんだ」

したり顔で言ったものの、返されたのがうろんな眼差しだけなのを見れば、後輩が欠片もそんな言葉を信じていないことが伺えた。実際に途中からは回数を重ねる毎に上達していく黄瀬を面白がっていた面もあった。
しかし面白がられた方はたまらない。今日の前半のシユート練習だけでなく、後半のチームに別れての試合形式の練習。どちらも四方八方から集中豪雨のようにパスを回された後輩は頬を膨らませていた。
パスを受け損なえばボールは容赦なく頭やら体にぶつかってしまうのだから気が抜けない。なまじ上手いものだから、外した場合烈火のように怒られるという二重苦だ。
才能があってもいまいち根性の足りない後輩は完全に疲れ果てていた。
それは分かるのだが

「おらっ、早くお前が出ないと部室閉めらんねーだろ」
「イタッ!すみま、せ」

脱力感しきった頭をはたくと黄瀬は慌てて姿勢を正す。鍵を掛けるのはキャプテンである笠松の仕事なので、黄瀬が出ない限りいつまでも閉めることができない。
笠松の方はズボンを履き替えており、あとは上着だけになっていた。帰る準備を着々と進める笠松に従って、黄瀬もいい加減に用意をしなければいつまでも帰れない。
しかし、黄瀬の体力が限界に近いのは事実で起き上がりはしたもののそれ以上立ち上がるのは酷だった。
疲れて鉛のようになった手足でロッカーを開けるのはやっとのことで。黄瀬は横着して鞄の入り口から服だけを引っ張り出そうとする。それがいけなかった。
たちまち鞄は引っくり返り、僅かに開いていたチャックからは勢い良く中身が飛び出してきた。

「あちゃ〜、やっちゃったっス」
「まったく・・・何やってんだよ」
「あ、ありがとうございます」

笠松がしゃがんで飛び出たものを集め始めると、黄瀬が眉をハの字にしながら礼を言った。
幸い、入り口は半分程度しか開いておらず、落ちたものは少ない。ただ、出てきたものを改めて見て笠松の手が止まる。綺麗にラッピングされたクッキーやら可
愛いシールが貼ってある淡いピンクの手紙やら、どう考えても貰ったものばかりなのだ。
後輩の仕事を考えれば理解はできても感情の方が納得出来ず、思わず余計に後輩の頭をひっぱたいた笠松を、誰が怒れるだろう。
しかし中には角のないものがあって、コンクリートが剥き出しになった床を転がっていった。追い掛けて拾い上げた笠松は、不思議そうな顔になる。

手のひらに丁度収まるだけの、黒色の小瓶。
どこにでもありそうな物だったが、何のラベルも貼られていないのだ。

「なんだこれ」
「先輩、それは飲んじゃ駄目っスよ」

穏やかに笑いながら、黄瀬が手にあった小瓶を奪い取る。
顔に似合わずむしりとるように強引な手に、笠松は少し気分を害した。
「食べるわけねぇだろ!」
何でも口に入れる子供ではないのだ。怒って脛のあたりを軽く蹴り飛ばすと、慌てて後輩は情けない顔で謝る。

「すいま、せ!」
「おおかた、女の子から貰った香水とかマニキュアだろ!つか、貰ったもん適当に扱って良いのかよ!」

落ちた手紙やらは全て黄瀬に手渡したのだが、当の黄瀬は無造作に鞄に押し込んでいるのを指す。黄瀬は涙目になりながら、ヒラヒラと手を振って見せた。

「別にいらないモンだから良いっスよ。どうせ帰ったら箱に全部押し込むだけだし・・・」
「はあ!?読まねえのかよ」
「初めの頃は読んでたっスけど・・・流石にもうメンドイっスから、いた、いたいっス!」
「馬鹿野郎っ!じゃあ貰って来るんじゃねえ!」

怒りに任せて黄瀬の耳を引っ張ると、黄瀬は哀れっぽく泣いた。笠松からするとどうしてこんな奴が…であるが、こればかりは仕方がない。
笠松ももう、身に染みていた。何しろこうして黄瀬を泣かせている姿を女の子に見せたら、完全に笠松の方が悪者になってしまうのだ。
軽く叩くだけでも沸き上がるブーイングの嵐に、練習中は観戦禁止と宣言したのは、黄瀬が入学してすぐのことだ。もしも今日の練習風景が目撃されれば、告訴状でも届きかねない。

ともかく落ちたものも無事に鞄に詰め込み、黄瀬もなんとか着替えがすんで、先輩と後輩はやっと帰宅することができた。
先に後輩を外に出し、電気を消そうとして、笠松は生徒手帳が椅子の隙間に挟まっているのに気付いた。
さっき黄瀬の鞄から落ちたものだろうか。と思いながら拾い、何の気なしにパラとめくった笠松は目を疑った。
顔が黒く塗り潰された写真がこちらを睨んでいる。
本来5、6人のユニフォーム姿の青年たちがカメラに顔を向けているだけに過ぎない写真だ。記念撮影なのだろう。海常でも毎年、IHなどで成績を出せば試合会場の近くでこんな写真をとる。
しかし生徒手帳に挟まっていたその写真は異様だった。
4人が黒の油性ペンに顔を潰され、無事なのは2人しかいない。
勿論無事なのは見知った後輩の整った面と――

「誠凛の透明少年?」

一同の隅に隠れるようにして写り込んでいた顔は無事だった。

「うわっ、プライバシーの侵害っスよ先輩!」

いつまでも出てこない笠松が気になり、さらに呟きを耳にして覗き込んだ黄瀬が慌てて生徒手帳を取り上げる。
しっかりと問題の写真を挟んで、照れたように笑う後輩に、少し笠松はホッとした。

「おい、なんだよその写真は」

呪いの写真か何かかと怒るが、後輩は笑うばかりで話そうとはしない。
ユニフォームは、笠松も知っている。帝光中学のものだ。

(誰かに落書きでもされたのか?)

仕方なく、笠松は自分を納得させる答えを考えた。
絶妙に周りの怒りを買いやすいこの後輩なら、軽い苛めで持っていた写真に悪戯されかねない。
多少有り得ないと思ったが、そうとしか思えなかったのでそう納得することにする。
もちろん、そんな写真をいつまでも持っているのも奇妙ではあったが。

(おおかた、これ1枚しか持ってないとかだろ。・・・妙にありそうだな)
それこそ意地悪されて、落書きされた写真しかもらえず涙目になる後輩の姿は容易に想像できて、笠松は笑みを零す。

「先輩、帰らないっスか?」
「・・・あ、ああ。わりい」

考え込んでいて身動きできなくなっていた。
黄瀬に促されて、やっと笠松は部室から出た。鍵を閉めて一息つく。

「んじゃ、また明日な」
「あ、先輩、明日は俺休むっス。たしか言っておいたっスけど」
「・・・そうだっけか」

明日は土曜日なのだが、海常バスケ部には基本的に休日はない。せいぜい正月くらいだ。
だが黄瀬は明日は部活に来ないつもりらしい。
・・・言われてみれば1週間前にそんな事を言われたような気がした。

「そうだったな。・・・仕事順調みたいだな」

初めての写真集が出るとかで、黄瀬は一時期部活を休むことが増えていた。
それは数日前に無事に発売され、今日も笠松のクラスの女子たちが騒ぎながら見ていたのだが、撮影自体はかなり前に終わっていたらしい。近頃は真面目に部活に参加していたと言うのに。
しかし写真集を見ながら「これ売れたからますますリョウタ忙しくなるねー」と昼休みに後ろの席で女子が言っていたのを思い出して渋面をつくる。
聞きたくなくとも教室中に響く声で言っていたのだが、その声を信じるなら写真集の売り上げは今月の書籍売り上げにランクインしたらしい。
黄瀬が表紙に載っているだけで雑誌の売り上げも変わるらしいし、海常バスケ部の期待の星は日本の誌界上でも期待の星と言うわけだ。
それは喜ばしいことだが、つまり部活に参加できる時間が圧迫されるということで、はっきり言うと海常バスケ部のキャプテンとしては褒められることではなかった。

「大丈夫っスよ〜、俺要領良いし」

笠松が表情を曇らせたので全てを察したらしく、本人は至って平気そうに手をヒラヒラさせた。
自分で言うなよとまた笠松はイラッとさせられたのだが。
実際黄瀬は要領が良いとは思う。
バスケでも高成績を出しながらモデルの仕事にも手を抜かないなんて、全ての人間ができることではない。
しかしそれを素直に褒めることはできずに、結局笠松は「自分で言うな」と怒ってやった。

それに涙声になる黄瀬にこっそりと笠松は満足して、帰宅したのだ。
それから土日、強豪校のバスケ部キャプテンとして部員を引っ張り部活にいそしんだ。
そんな中で笠松は週末の出来事をすっかり忘れてしまっていた。
数日後。
思い出したのはあの時に見た小瓶を目にしてからだ。
今、笠松の前には見覚えのある可愛らしい瓶があった。
一見すると確かにマニキュアのようだったが、今見てみるとただの小瓶でしかない。
しかし思い出しただけ奇跡に近い。
そんな些細な出来事を忘れ去るくらい、恐ろしい事件があったのだ。




その事件を笠松が耳にしたのは月曜日だった。
いつも通り朝練を始めようとした時、自分の後輩が事件に巻き込まれたのを知った。
それも、殺人事件だ。

交通事故や引ったくりとは違う。ニュースでも盛んに取り上げられているその話題は、高校生には刺激が強すぎた。
同じ学校の生徒が巻き込まれたというだけでも大騒ぎなのに、それが学校でもっとも有名と言える黄瀬涼太が中心人物だと言うのだ。
天地がひっくり返ったような騒ぎだった。
部活が終わって教室に入った時も教室中はその話でもちきりだったし、それは次の日もそうだった。
しばらくしてからは人々も言い飽き、聞き飽きて、話が口に登ることもなかったが、事件があってから休み続けてきた当事者が学校に来た日はまた熱がぶり返した。
本人に向かって無遠慮に事件の事を聞く者はいなかったが、中には遠まわしに事件の感想などを聞きに行く者も現れ、事件の顛末を聞きかじっては涙を流した。

そんなわけで笠松も事件については自然に詳しくなったし、誰から聞いたのか聞いた者の誰もが同情するお涙頂戴ものの事件の結末ももちろん知っていた。
後輩は今日久々に部活を訪れて心配をかけたと先輩たちに頭を下げに来た。
この数日で何人もの人に送ったのだろう。堂に入ったそれに、いつもは何だかんだと弄り回す先輩たちもこの日ばかりは優しく扱っていた。
彼らも事件と、それで黄瀬がどんな役回りをしたのかを知っているのだった。
黄瀬はそんな先輩たちに「普通にしてくれて良いっスよ」と恐縮した様子だったが、やはり節々に見られる影のような部分は、彼が深い傷から冷めていないことを知らしめていた。



ファンの子から、毒を盛られたらしい。
前々から熱狂的なファンからの手紙をもらっていたのだと、事件の後に黄瀬は白状した。
警察に提出したのは送られてきた少し高価なアクセサリーやお菓子類。
添えられていた手紙ははじめ、少し行き過ぎたファンそのものでしかない内容だったのだが、次第に黄瀬への独占欲にあふれ、熱を帯び、加熱し、終いには目を背けたくなるような腐臭を感じさせるものと化していた。
最後の頃になると黄瀬が誰かと一緒にいる様子の写真が同封され、隣の人物が誰なのかを激しく糾弾するものになっていた。
結びに「貴方は私だけのものなのに」とあった手紙を最後に、音沙汰はなくなっている。
その時期に紛れ込んできたお菓子が最悪の事件を引き起こした。
黄瀬宛に毎日届く沢山の贈り物の中ではお菓子類は結構な割合を占め、それは事務所側で選別をするのだが、中でも既製品で封がしてあるものは黄瀬のもとへも届けられた。
問題のお菓子も老舗のお菓子の缶に入っており、きちんと封がされていたので問題ないと黄瀬の手に渡ったのだ。

しかし後の警察の調査で、お菓子は一度封が切られ、中には毒が仕込まれていたことが分かったのである。
丁寧に封を掛け直されたそれを事務所は見抜けず、黄瀬に手渡したのだ。

幸い黄瀬はそれを食べなかった。
だが、代わりに不運にも黄瀬の家に遊びに来ていた友人が被害者となった。
神経性の毒で、少量でも大人が死ぬ可能性のある劇物だったと判明したのはずっと後のことだ。
それが、お菓子の中にはたっぷりと含まれていたのである。

すぐに警察がやって来て件のお菓子を贈りつけてきたファンを調べたところ、国内では入手の難しいその毒を所持していた。送られてきた缶に付着していた指紋も一致したらしい。
容疑者としてファンは逮捕された。まだ詳しく取り調べを受けている最中である。


ここまでがワイドショーで流れた内容で、テレビに張り付いていた者なら誰もが知っている話だろう。
だが、身内だけが知る話はまだ続く。
もちろん黄瀬はすぐに、代わりに毒を食べて倒れた友人を病院に搬送した。
そのかいあってか奇跡的に一命をとりとめたものの、友人には重い麻痺が残ったのである。

少年は海常とは違うものの、かつてはバスケ部のスタメンだった。
しかし、試合に出ることはもちろん、日常生活を送る事さえ困難になったと言う。

被害者となった少年は笠松にとっても知り合いだったので、一度見舞いに行ったのだが、あまりの状態に言葉も出なかった。
見た目は変わっていなかったものの、言葉も喋れず、目も虚ろで、話しかけても何の反応も返ってこない。
かつての元気な姿を知るだけに、それはショックな映像だった。
病院の前で会って一緒に病室を訪れた火神もそんな被害者を痛ましい目で見ていた。
彼と火神はかつて最高のパートナーと言われ、数々の強豪校を打ち負かしてきた。
火神の力強いバスケとそれを支える影のプレイヤーのコンビは目を見張るものがあった。
笠松とて例外ではない。
その片割れが、こうしてベッドの上にいる。本当に、悲惨な事件だったと。世間のように過去形で話すことはできなかった。


それから事態は何も好転せず、今に至る。
そんな笠松の目の前に落ちている小さな小瓶。

見覚えがあるように思えマジマジと見て思い出した。これは黄瀬が鞄の物を引っくり返した時に出てきたものだ。
確かに黄瀬が鞄に戻したはずのこれが、なぜこれがまた部室に落ちているのかと笠松は不思議に思った。
そして


(食べちゃ駄目っスよ)

当然のように、笠松の手から瓶を奪っていった笑面を思い出す。
あの顔が今更ながら気になって仕方が無いのだ。

ふと瓶を傾けてみるとタプン、と水面が上下した。

その時ガチャリと背後で音がして、笠松は自分でも分からないくらい激しく驚いた。
一つしかない部室の入り口から誰かが入ってきた音だ。これから部活が始まる時間だし、鍵なんて掛けていなかったのだから、誰か入ってきて当然である。
しかし振り返った先にいたのが黄瀬だったので笠松の動揺は冷めなかった。
黄瀬はそんな笠松に怪訝そうな顔をしたものの、次の瞬間にはにこやかになって「おはようっス」と挨拶をした。
笠松も適当に挨拶し返す。
波打つ鼓動を抑えながら
「黄瀬、これお前のだろ」
落ちてた小瓶を振ってみせると、キョトンとした後に黄瀬は驚いた。
「ほんとうっス。あれー、どこに行ったんだろうって探してたっスよ」
よく落とされる瓶だった。小さい上によく転がる形をしているので仕方が無いのかもしれないが。

笠松は聞いた。

「なあ、これ何が入ってんだ?」
「これスか?・・・これはただの香水っスよ。少し小さいけど」
「こんなに小さかったらすぐに使い切っちまうだろ」
「持ち運ぶのにはこのくらいの大きさが便利なんス」

また、たかだた高校生の分際で洒落たものを持っているなと笠松の腹の中はぐらついたのだが、この時は手が出ることはなかった。
それは、モデルなのだから持っていて当然だと思ったわけではない。
妙な違和感が増したのだ。
直感的に、黄瀬が嘘をついていると笠松は見抜いていた。
なぜなら黄瀬は笠松が嫌いな顔をしているのだ。甘いばかりで腹の奥が見えない笑顔だ。

何食わぬ顔で香水の口を外して、匂いをかいでみる。
まさか笠松が香りに興味を持つとは思わなかった黄瀬は「えっ」と驚いていた。
慌てて取り戻そうとするも、既に遅い。

「ああ――・・・」
「これ、香水なんかじゃねえだろ」

瓶からは何の臭いもしなかった。
臭いがしない香水なんてあるはずがない。
笠松が訝し気な視線を送ると、黄瀬は頭を掻いた。

「うん。まあ、違うっス・・・」
「じゃあなんだよ」
「別に危ないものじゃあ、ないんスけど」

黄瀬は歯切れが悪い。
じわじわと笠松の中に、ある予感が湧き上がってきた。
事件を耳にしてとっさに湧いた一つの想像を即座に笠松は打ち消した。冷静になってみればなぜそう思ったのか。自分でも分からなかったからだ。
しかし白い壁にぽつんと生まれた小さな染みがふとした時に目に入り、反らすことが難しいようにその想像は何度か笠松の脳裏に去来した。
それは、

「これ・・・毒じゃ、ねえよ・・・な」


黒子が黄瀬の代わりに毒を飲んだと聞いて、不思議な事に真っ先に思ったのは「ついに黄瀬がやってしまった」であった。
そんなわけがないはずなのに、その想像がぴたりと当てはまるような気がしたのだ。
しかし証拠なんてなくて、後輩に酷い想像をしたことを恥じるばかりだった。


けれど、今笠松の手の中には一つの瓶がある。
事件の起こる前に黄瀬が持っていたこの瓶。
まさにこの中に毒が入っていたならば・・・・黒子は黄瀬に毒を盛られたということになるだろう。

笠松の追及の視線に、黄瀬はしばし考え込むようにきょとんとしていたが、すぐに顔をくしゃりと歪めて泣きべそをかいた。

「ひ、ひどいっス〜〜!せんぱい、俺が黒子っちを毒殺しようとしたと思ってるっスか!」
「じゃあこれは何だよ!!」
「これは、実は黒子っちが飲んでた水を貰ったときに勿体無くて一部くすねておいた奴なんス・・・いったっ、だから、殴られると思っていえなかったっス!!!」

怒りのあまり笠松が後輩の腹を本気で殴った。
気持ちが悪い、あまりにも酷いともう1、2発殴った笠松を誰がせめられるだろうか。
売り物である顔に手を出さなかっただけでも紳士的と言えた。
本気のパンチだったため流石の黄瀬ももんどりうっていたが、甘んじて受けていた。

「これは捨てるからな!」
「そんな横暴っ・・・いやなんでもないっス!」

また笠松が拳を振り上げたのを見て、慌てて首を引っ込める。
黄瀬はべそべそと泣きながら先に部活に出て行った。
情けない背中を見送って、没収した小瓶を握り締めながら、笠松はフンと鼻息を出す。

「つか、俺があいつが犯人かもしれないって思ったのは、このせいなんだよな・・・」


この事件で誰か得をした者があるかといわれると、それは黄瀬だと笠松は答える。
何しろ黄瀬は黒子馬鹿だ。
少なくとも笠松と出会う時には既に黒子に狂っていて手がつけられない状態だった。
黒子が言うものは全て正しいと思っているらしく、黒いものも白と言いかねない。
入学してしばらくして、どうも彼からバスケは楽しくやるものだと聞いたらしくすっかりそうだと思い込んで、以来「バスケがすっごく楽しい」と言い出すようになった。
本当の馬鹿とは少ないだろうが、黄瀬はその部類に入っても問題ないのではないかと思っている。

そんな黄瀬は、今回の事件の被害者である黒子に酷く責任を感じて、自分から黒子の介護をせっせとやっているらしい。
黒子の家族がそこまでしてくれなくて良いと言ったらしいが本人が譲らない様子で、甲斐甲斐しく世話をしている。それがあまりにも丁寧なものだから、今では黒子の家族も任せていた。
加害者は別にいるのだから、黄瀬を恨むのは間違っていると分かっていても、黒子は事件に巻き込まれただけだ。
家族も黄瀬のせいでと思う気持ちはあっただろうが、黄瀬がはっきりとこれから先、自分が死ぬまで、いや、黒子が平穏な死を迎えるまで自分が責任を持つと断言したことから、ひどく複雑な気分になったらしい。
恨む気持ちと、恨んで申し訳ない気持ちと。
様々な思いはありながら、黄瀬は毎日欠かさず黒子の家を訪れて黒子の世話をしている。

その話を聞いた者はみんな黄瀬に同情して、涙を流したものだが、笠松は酷くゾッとしたものだった。

全て黄瀬が計画したものなのではないか?
あの犯人のファンというのは嘘で、本当は――


しかしこれが毒だったなら、事件のあとも瓶の中に残っている方がおかしいと、自分が抱いた考えを笠松は反省した。
それに一歩間違えば黒子が死んでしまうかもしれない危険なことを黄瀬が行うはずがないではないか。

まさかの瓶の中身に黄瀬にはあんな態度を取ったが、笠松は黄瀬を殺人犯と疑ったのだ。
すぐに謝りに行こう、と反省した。
少し考えて瓶の中身は途中の手洗い場で流して、瓶は割れ物のゴミ箱に放り込んだ。


to be continued ...

by ヒトデ (10/01/11)

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