零度以下の微笑み


何かが壊れる音で黒子は目を覚ました。
がしゃん。なんてものではない。コップが床で砕け散る音を何倍も大きくしたような音。
ガラスではなく機械が砕け散る音に似ていた気がする。
瞼をこじあげ目を開けた黒子は、電気が消えた薄暗い室内で黄瀬を見つけた。
少し途方にくれたように立っている黄瀬は黒子を見つめていた。
黒子は今日、黄瀬の家に泊まりに来ていたことをぼんやりと思い出す。

しかし黄瀬は黒子が眠る頃は、隣に横になっていたはずだ。
嫌な予感に従って、視線を走らせると、黄瀬の足元には黒子の携帯電話のなれの果てが転がっていた。
見事に二つ折りの部分からバラバラになっていた携帯電話は、カバーが外れてバッテリーが転がり落ちている。


「どうして、黒子っち。こんな事、するんスか」

黒子が何か言う前に、零れだした黄瀬の切れ切れの言葉。黄瀬が、湧き上がる自分の感情を必死で抑えようとしていた。

「携帯電話は、見れない設定にしていたと思うんですけれど、暗証番号、分かったんですか」

黒子の方は落ち着いている。初めてではなかった。
黄瀬に携帯電話を壊されるのはこれで2回目なのだ。

「なんで・・・なんで青峰っちの誕生日なんスか!?」

黄瀬は黒子の携帯電話の暗証番号が、青峰の誕生日だったことがひどく気に入らないらしい。
裏切りだ。浮気だ。と黄瀬は喚いて、携帯電話を憎々しげに見下ろす。

「青峰っちのことが好きなんスか!?ほんとうは、オレに隠れてアイツと付き合ってるんじゃないスか!?」
「付き合ってません」

一歩前に足を出した黄瀬の白い靴下が携帯電話を踏みつける。
黒子の表情は曇った。
もしもロックをこじあけた先にある、メールだとか着信履歴だとかを見れば、黒子が黄瀬以外とここずっと連絡をとっていないことが分かっただろうに。
わざわざロックをかけた上でも、他の人から来た着信履歴やメールを捨てていた黒子は少し悔しい思いを味わう。

「青峰君とはなんでもありませんよ。単に彼の誕生日だと覚えやすかっただけです」
「うそだあ・・・!」
「本当です。だいたい、ずっとボクは君と一緒にいるじゃないですか。青峰君とは部活の時しか顔を合わせてません」

部活以外の時間。学校でも、休み時間は全て黄瀬と時間を過ごしている。
帰宅も、登校も、休日も。果てはこうして、頻繁に黄瀬の家に泊まることさえしているのだ。疑われる方が心外と言うものだ。
黒子の指摘に、しばらく考え込んでいた黄瀬はこっくりと頷いた。

「――信じるっスよ」
「ええ。信じてください。それより君は、見ないでくださいと言っていたのにまた携帯電話、見たんですね」
「ご・・・ごめんっス」
「ごめんじゃ、ないです。壊すからロックを設定したんですよ。もしかして君はここ1か月、暗証番号を探していたんじゃないですか?」

ようやく黒子が指摘すると、黄瀬は一瞬で、鋭くとがっていた眼光を収める。
急におたおたとし始めた黄瀬が慌てて携帯電話から足をどけた。
今日のように黒子を呼んだり、そうでなくとも部活の最中なり、黄瀬はいくらでも黒子の携帯を開くことができる。
そうした時間に手当たり次第番号を入力して、セキュリティをこじ開けようとしていたのではないか。
懐疑的な黒子の眼差しに、完全に黄瀬の方の分が悪くなっていた。

「・・・壊しても、弁償するから」
「そういう問題じゃありません。見ないでくださいって言っているでしょう」
「だって――黒子っちが心配なんスよ。黒子っちが青峰っちに取られちゃったら、オレ・・・」
「・・・・・・、大丈夫だと言っているでしょう。泣かないでください。もう、一緒に寝ましょう。明日も部活はあるんですから」

黄瀬がほろほろと涙をこぼし始めたので、黒子は怒るのをやめて、彼の背中を撫でてやる。
広い背中を手のひらで何度も往復しながら、一緒にベッドに戻ると、黄瀬は甘えた声を出した。

「黒子っち、手、握って」

ねだられるまま、手をぎゅっと握ってやると、ようやく安心したように目を閉じる。

(・・・。明日、目が腫れてないと良いですけれど)

面が良いことが一番の彼の良さであるのに。と
たっぷりとひろがるまつ毛の先を濡らす雫を拭いてやって、黒子も眠りなおした。










数日後の話だ。部活が終わって、部室に帰ろうとしていた黒子は、黄瀬の姿がなくなっていることに気が付いた。
紫原と駄菓子屋に行こうと約束していた。黄瀬も一緒に、と誘いたかったのに。
先に着替えに戻ったのかと踵を返したすぐあとに、用具室の入口から手が伸びてきて、掴まれて壁に押し付けられた。
バン、と突然、間近で大きな音とともに背中から衝撃を受け、黒子は咳き込む。
肺に直接響いた刺激に一瞬息が止まる。しかし何より驚かされたのは、覚悟もなにもしていない状態で、突然壁に投げ出されたことと、その相手だった。
強張った黒子の腕をつかんでいるのは長身の影。
薄暗い体育館用具室の、小さな窓から差し込む光に映るのはまさしく黄瀬だった。

「き・・・」

どうしたのだと、彼の名前を呼ぼうとして、黒子の喉が凍った。
黄瀬は微笑んでいた。

「黒子っち、どこかに行くんスか」

言葉を覚えたての子供のように、ゆっくりと尋ねる。
だが彼は、黒子が紫原に今日駄菓子屋に行かないか、と誘っていたのを見ていた。黒子が駄菓子屋に行こうとしているのを知っているはずなのだ。
黒子が戸惑っている間に、黄瀬は短く打ち消す言葉を告げた。

「駄目っスよ。今日はオレと遊ぼう?駄菓子ならオレが買ってあげるっスよ。黒子っちが欲しいなら、欲しいだけあげるから。だから、紫原っちといかないっスよね?」

黄瀬の顔が横に傾いた。
細かく震え出した黒子の体が不思議だと言う顔だ。

「ち・・・が・・・」
「紫原っちの方が良いんスか。オレと行くよりも紫原っちの方が良いってどういう事?・・・ああ。別に怒らないから大丈夫っスよ。浮気だとかは思ってないし。黒子っちのこと信じてるって。ねえ、だから昨日も何も言わなかったでしょう?」

昨日黒子は青峰とゲームセンターに寄って帰った。
いつもであればついてくる黄瀬は珍しく口を出さず黒子を送り出した。
勿論本当に遊びに行っただけだった。黄瀬が邪推する事は何もなかったというのに。
それに大体・・・

「・・・黒子っち、どうしたの。なんで何もいわないんスか。青峰っちのことを思い出してるっスか。オレならすぐに、昨日の青峰っちのプレイより上手いスコア叩きだしてあげるっスよ。バスケじゃまだ追いつけないけど、ゲームの腕なら負けないっス」

ちゃんと黄瀬は黒子についてきていた。
青峰に気付かれないように。しかし確実に目の届く範囲の物陰から見つめていた。黒子はそれに気付いていたが何も言わなかった。
どうせなら一緒に遊べばいいのに、と思っても少なくとも青峰に「実は黄瀬君がついてきてます」なんて打ち明けられなかったので、放っておいたのだ。
何しろその時の黄瀬の表情は鬼もかくやという様子で、とてもチームメイトに向けるものではなかった。

「来週ゲームセンターに行こう。オレ、黒子っちに格好いいところ沢山見せてあげるっス!」

おとなしい黒子の反応に、段々機嫌が直ってきたのか、黄瀬は壁に押し付ける手を緩める。
何度か瞬きをした後に浮かんだのは今度こそ間違いない笑顔だ。
その笑顔は彼がよくカメラに向かって振りまく笑みに一番似ている。似ているが、こんなに優しい目で映すのは黒子だけに違いない。


用具室を出ると黒子を探している紫原を見つけた。
寄り道すると約束していたのに戻ってこない黒子が心配になったのだろう。
黄瀬の後ろにいる黒子をみつけて、嬉しそうに顔をほころばせた紫原に、黄瀬は足早に巨体に近づいていく。

「黒子っちはオレと行くから、紫っちとはいかないっス」

突然に黄瀬は言って、まるで知らしめるように固く握った右手を差し出して見せた。
黒子の場所からでは黄瀬の口元が緩やかな弧を描いていることだけは分かった。
紫原はびっくりした顔をしている。

「・・・へええ、そうなんだ」
「だから、ひとりで駄菓子屋に行って欲しいっス」

ごめんね?と小首を傾げる黄瀬に、いいよーと紫原はゆるく答える。
もともと黒子の約束も直前だったことだし、一人で行く予定だったのだと添えて。
黒子に用事が入って行けないと知ってもさほど落胆はしない。

だが、すれ違い間際、紫原は黒子が聞こえる大きさでボソリと呟きを零した。

「――こっわいな〜も〜。あれが零度以下の微笑みってやつ?」

彼はゆるく首を振りながら、思わず振り返った黒子にバイバイ、と手を振る。






カサカサと黄瀬が持つピニール袋が擦れて乾いた音を立てる。
結局黒子は、黄瀬と駄菓子屋にはいかなかった。
そもそも紫原と駄菓子屋に行くのを楽しみにしていたのであって、駄菓子が買いたいわけではなかったからだ。お菓子なら、コンビニでもスーパーにでも、いくらでもある。
かわりにコンビニでお菓子を大量に買った二人は、黄瀬の家で食べ散らかそうと、帰途についていた。


黄瀬の左手はお菓子がいっぱいに詰まったビニール袋が。右手は黒子の手がそれぞれ塞いでいる。
こんな状況なら、いつも腕を振って上機嫌なはずの黄瀬は、なんだか悩みを抱えているようで足取りも重い。
黒子は繋いだ手を離そうとはしなかったが、自分から握ることもしていない。

「黒子っち、オレの事好き?」

唐突に黄瀬の言葉が降ってきた。
驚きつつも、黒子は素直に答える。

「好きですよ」

黄瀬は黒子の返答に、不安そうな、心細く儚い笑顔を向ける。

「・・・良かった。その言葉があるだけで、オレは大丈夫っス」

言葉と表情は全く逆だ。
黒子は彼の隣で同じ速さで歩を進めながら、胸の中で呟きを繰り返す。


(ボクは黄瀬君が好きですよ)


言葉も、冷たい目も、全部信用できないけれど。
ゆるく握った黒子の手の上にある黄瀬の手が
この暖かな手がしっかりと握ってくれる限り、黒子は黄瀬が信じられると思った。


「黄瀬君」
「なんスか」
「携帯電話、買いに行きましょう」
「・・・・そうだ。オレが壊したから弁償しないとね。好きな機種買ってあげるっス」
「いいえ要らないです。代わりに、黄瀬君も自分の携帯を壊してください。壊して、新しいものを買いましょう。お互いのメールアドレスと番号だけ登録した携帯電話を」

不満ですか?と見上げると
黄瀬は目いっぱいに涙をためて、だいすき黒子っち、と応じた。



by ヒトデ (11/03/06作・11/04/13改)

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