きみのせいだよ


先ほどから黄瀬の機嫌は下降の一途を辿っていた。
それというのも、折角遊びに来た黒子が黄瀬のそばへ来るのを嫌がり、「来ないでください!」と叫ぶや部屋の一つに引きこもってしまったからだ。


黄瀬がノブを回しても金属の無機質な音がするだけで、回る手は途中で止められる。
本来であれば、一人暮らしをしている黄瀬の家に鍵なんて必要ない。せいぜい玄関の鍵ぐらいだ。
だが、例外にトイレと浴室だけは、黄瀬がわざわざ取り付けなくても鍵が設置されているのである。
運悪く黒子が篭ったのは浴室だった。おそらくは狙って入ったのであろうが。
どこの家にでもある単純な鍵が、こんなに恨めしいと思ったことなどない。

今度黒子を呼ぶ時には、浴室だけでなくトイレの鍵までも外してしまおうと思いながら、黄瀬はノブを回し続ける。
開かないとは知りながら、回さずにはいられなかった。
そして一緒に、脅えて物陰に隠れた野良猫を呼ぶように、優しい声を出した。


「黒子っち、どうしたっスか?開けて」

耳をそばだてても返事はない。ただ、規則正しい呼吸の音だけが届くばかりだ。
黄瀬は自分の呼吸を浅くし、せめてものとそれを聞き逃さないようにしながら、ノブを回すのをやめて扉を叩くことにした。


「急にどうかしたっスか。オレ、今日はなんにもしてないっスよね」

黄瀬の言うとおりであった。
何もしていないどころか。黒子は家に着くなり、黄瀬が玄関の鍵を閉める一瞬の隙をついて浴室に駆け込んだのだ。

慌てて止めようとしたがあと少しという所で間に合わず、無情にも浴室の扉は目の前で閉じられた。
黒子と接したのは家に着くまでの歩いた時間だけで、その時の会話だっていつも通りであった。
いつも通り黄瀬が話しかけて、黒子が相槌を打つ。その調子が続くだけで。
黄瀬には、黒子に避けられる理由なんて分からない。


扉を叩きながらふと思い当たったのは、今日の昼休みに女の子に呼ばれて体育館裏で告白されたことだ。
周りに居たのは当事者とその友人だけだと思ったのだが、黒子もどこかで見ていたのかもしれない。だから機嫌が悪いのだろうか。
だが、黒子の前で女の子からもらうラブレターを処分するのもいつものことだし、今日もきちんと女の子には断った。黒子が怒るとは思えない。
それよりも女の子の集団に取り囲まれて黒子を迎えに行くのが遅れたのが駄目だったのかもしれなかった。
・・・しかしそれについては帰る前に黒子に散々謝ったし、黒子も「別に気にしていません」と答えてくれたではないか。
それとも・・・


黄瀬がせわしなく扉を叩きながら考え込んでいる間に、黒子からの答えが返ってきた。
かぼそい声は、もう少しで黄瀬の立てる音で聞こえないところであった。

「・・・もう、こんなのは嫌なんです」
「こんなの?こんなのって、なんスか?」

答えが返ってきたことに喜びながら、その言葉に首を傾げる。
黄瀬が一生懸命今日のことを思い返してみても、特におかしかった事なんでなかったのだ。


朝は学校に行く前に黒子の家に寄り、一緒に学校へ行き、楽しくおしゃべりをしながら登校したし
授業が終わるたびに黒子の教室へ遊びに行ってタップリ休み時間を過ごし
お昼ごはんはクラスで食べなければならないので仕方が無いが、昼休みだって始まればすぐに黒子の教室へ行った。

いつもなら黒子の教室で話をするだけなのだが、今日は屋上に行って時間一杯まで黒子の髪の毛を解かしつけたのである。
あぐらをかいた自分の上にちょこんと腰を下ろした黒子の可愛らしさと、綺麗な水色の髪の手触りにほくほくしながら、久しぶりに幸せな時間を過ごせたと、黄瀬は大満足だった。

また放課後になると、もちろんすぐに黒子を迎えに行って部活に行った。
心ゆくまで黒子の勇姿を目に納めた後は一緒に帰宅し、こうして黄瀬の家に遊びに来たのである。

特におかしなことなどないし、黒子が機嫌を悪くするような事など無かったはずだ。いつも通りで、何も変わらないではないか。


「・・・・あ。そういえば今日の部活で、変なヤツに絡まれたからっスか」

黄瀬は思い出した。
今日黒子は、バスケ部の先輩に意地悪をさられて、走っている最中に後ろから肘で小突かれたりボールを回してもらえなかったりしたのだ。
黒子は目立たない部員なので、そうした悪意に晒されることは普通は無いだろう。
だが、並み居る部員の中からコートに頻繁に出される選手になり、目立つようになれば、そのような輩が放っておかなくなる。
沢山いる先輩の中でも、特に目立ったところもないその先輩の名前を黄瀬は覚えたことはなかったが、今回の件で顔はバッチリ覚えた。


「黒子っちが気にすることないっスよ。あんなヤツは大きな部活にはどこにでもいるっス。それに、明日にでもあの先輩には話をつけて、部活を辞めてもらうか、学校を辞めてもらうから大丈夫っスよ」
「それが嫌なんです!」

扉越しに、黒子が叫ぶ声がする。

「やめてください!ボクは気にしていません。自分の身は自分で守りますから・・・」
「そんな事。黒子っちは黒子っちだけのものじゃないっスよ?どうしてそんな事を言うっスか」

それに扉越しに言うなんて卑怯だと、再び黄瀬はノブを回し始めた。
平静を欠いた黒子の声は、今にも壊れてしまいそうなほど不安定で、黄瀬を不安にさせる。
きちんと目を見て話したい。ただでさえ黒子が何を考えているのか分かりにくいのに、余計に分からなくなりそうだった。

ガチャガチャと引っかかる金属音が妙にイライラしてきて、黄瀬の手はますます乱暴になる。
しかし、耳障りな音の合間に黒子がすすり泣く音が聞こえてきて、慌てて黄瀬は手を止めた。
黒子は泣き出したようである。
ひっくひっくと、子供のように喘いでいる。黒子がそんな風になるなんて始めてのことで、黄瀬は頭を棍棒で殴られたような衝撃を受けた。


「黒子っち、どうしたっスか!?何が辛いっスか!・・・ああ、そんなに黒子っちを苦しませるんなら、明日にでもあの先輩、どっか飛ばしちゃうから安心して良いっスよ!!」

黄瀬の脳裏に思い出された、下卑た笑顔の先輩に歯軋りしながら、黄瀬も悲しくなって涙を流した。

可哀相に黒子は、辛くて悲しかったのを言い出せずにいたのだろう。
見かけによらず強情で負けん気の強い黒子だ。だがそんな黒子をここまで苦しめるなんて、絶対に許せないと思った。


「オレがいるから大丈夫っスよ!黒子っちはなんにも心配しなくて良いっス!」

ガチャガチャと激しくノブが音を立て続けていたのが、ある拍子にバキリと折れてスルリと回るようになった。
ノブが壊れたらしいと気づいたのは後のことで、黄瀬は無我夢中で扉を引くと、床に座り込んでいる黒子に抱きついた。
黒子が悲鳴を上げて、懸命に逃れようとするのを、彼の一回りは大きな腕が捕らえて離さない。


「いやだああ!!離し、離してくだ、さ・・・!!」
「もう大丈夫っスよ!黒子っちが安心してバスケができるように、オレ、何でもするっスから!ね、だから泣きやんで!」
「もう嫌なんだ!こんなの、変です!おかしいです!嫌だ!離してください!」
「黒子っち、誰のせいでこんなに苦しんでるっスか?オレに言ってみて。黒子っちの心配事は、全部なくしてあげるっスよ!」


結局その日黒子が泣き止んだのは日付が変わる頃で、必然的に黒子は黄瀬の家に泊まることになった。
泣きつかれて眠る黒子の濡れた睫毛に口付けながら、一体誰から消していけば黒子が喜んでくれるのかと
黄瀬はニコニコしていた。


by ヒトデ (09/08/09)

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