「普通」の恋人同士って、一体なんだろう。残念ながら、オレにはそれがよくわからない。
 でも、黒子っちとオレの関係が、いわゆる「普通」の道から逸脱しちゃっていることは、馬鹿なオレにもよくわかる。
「黄瀬君。さあ、お散歩に行きましょうか」
 にっこり、優しく笑った黒子っちの右手には、長いリードと首輪がキラリ。




絶望するほどのことでもないでしょ?





 オレが黒子っちの事を好きになったのは、もう随分昔の事過ぎて、きっかけだとか、何時の事だったとか、そういう細かい事はとっくに忘れてしまった。
 それから色々あって(こっちは紆余曲折あり過ぎて長くなるから割愛)黒子っちは今、オレの恋人。でもって、オレの御主人様。オレは黒子っちの命令には絶対服従で、反抗なんて考えつくはずもない、いわば所有物。もうちょっと穏便な言い方をするなら、黒子っちに飼われている犬ってところだ。
 そう、オレは黒子っちの飼い犬。黄瀬涼太は、黒子テツヤに所有されているわけなんス。
 「飼う」って言い方はすごく、魅力的な言葉だと思う。オレの全部は黒子っちの為に存在して、髪の毛一本まで黒子っちに全て所有されてるって事だ。それって、すごくないっスか。だってつまり、それは、オレが全部黒子っちで満たされてるって事になる。
 あー…たまんない。考えるだけでゾクゾクする。
「……黄瀬君? なにを笑っているんですか?」
 思わず嬉しくなってにやけていたら、黒子っちにバッチリその瞬間を目撃されちゃった。黒子っちときたら、いぶかしげに眉を潜めてる姿も可愛いもんだから、困る。
「あ、ごめんごめん、なんでもないっスよ」
「なんでもないなら、ヘラヘラとみっともない顔を晒さないで下さい」
「う…ご、ごめんなさい」
「久しぶりのお散歩だからって、はしゃぎすぎなんですよ、キミは」
 溜息をついて黒子っちは、ぐいっと腕を引いた。拍子に、オレの体も引っ張られて危うくつんのめりそうになる。たたらを踏んでなんとか踏みとどまると、屈むような形になったオレの耳元に顔を寄せて、黒子っちはそっと呟いた。
「まったく、キミは本当に…駄目なワンコですねえ」
 うっとりと、悦に浸った口調だった。直接耳朶に流し込まれた甘い声は、腰にくる。たまんない気持ちになって、ゴクリと唾を飲む。たぶんオレは今、ものすごく浅ましい目で黒子っちを見ている。そして黒子っちはそんなオレを見返して、唇の端を上げてニッコリ笑った。
「不出来な子は、ちゃんと躾直さなきゃいけませんよね?」
 向こうへ行きましょうって、やんわりと手を引かれるオレに、拒否権なんてあるはずもなかった。





 黒子っちに引っ張られて連れて来られたのは、公園の奥まった空間だった。鬱蒼と繁った木々に隠されて、他所からはなかなか見えない死角。
 そこまで来てオレはもう辛抱たまらなくなって、衝動に突き動かされるまま、後ろから黒子っちの小さな背中をぎゅうっと抱きしめた。
「黒子っち、黒子っち、黒子っち…!」
 触るだけじゃ足りない、もっともっと黒子っちが欲しくて、キスがしたくて手を伸ばす。顎を掴んでこっちを振り向かせて、だけど黒子っちはオレの口を掌で遮って、「駄目ですよ」なんて酷い事を言った。
「まだ、お預けですよ。待てくらいなら、キミにだって出来るでしょう?」
「や、やだ、やだよ黒子っち。キスしたいっス、黒子っちがもっと欲しい!」
「ボクは、『待て』と言ったんですよ。言う事が聞けないんですか?」
 一転した冷たい声で黒子っちにそう言われて、一気に血の気が引いた。
「す、すませんス!!」
 慌てて両手を上げて、黒子っちを解放した。二、三歩距離をとって、けれどもそれ以上は離れられない。
「オレ、そんなつもりじゃなくて…ごめん、黒子っち、怒ったっスよね? もうしないっス、オレ、黒子っちの言う事ちゃんと聞く。良い子にするっス。だから…っっ」
「ああ、大丈夫ですよ、黄瀬君。捨てたりしません。だから、良い子だから落ち着いて下さいね」
 優しく微笑った黒子っちが手を伸ばして、少し背伸びしてオレの頭を撫でてくれた。もっとそうして欲しくてうなだれると、くしゃくしゃと髪を掻き混ぜてくれる。
「良い子ですね、黄瀬君」
 優しい声に、じんわりと泣きたくなってくる。ひとしきりオレを撫でてくれた黒子っちの手は、頬っぺたを撫でてから、オレが羽織っていたパーカーのジッパーを下げた。ここにはオレと黒子っちの二人しかいないから、もう隠す必要なんて無いからだ。
「あぁ……やっぱり、黄瀬君には似合うと思ったんです、これ」
 うっとりと呟いた黒子っちが、オレの喉元を緩々と撫でる。正確には、オレの首に嵌められた首輪を。
 黒革の首輪には、等間隔に銀色の鋲が打たれている。端には青い紐が結ばれていて、その先はもちろん、黒子っちの右手にしっかりと握られている。
 事情を知らない他人に見られたら、無駄に騒がれて面倒だから上着に隠してカモフラージュしていたけど、家を出た時からオレはもうずっと、こうして黒子っちに繋がれていた。
 だって、オレは黒子っちの飼い犬だからね! ペットのお散歩は飼い主の義務で、リードと首輪は散歩のマナーっス。
 ほんとは何時でも何処でも、繋がれてる姿をおおっぴらに見せびらかして歩きたいけど、面倒事は嫌いな黒子っちが駄目って言うから我慢してる。だけど今日は特別。だって今日は、黒子っちがこの新しい首輪を買ってくれた、そのお披露目も兼ねているから。
 近頃はテストとか部活が忙しかったから、こうやって黒子っちがお散歩してくれるのは久しぶりだった。だから、つまんない事して黒子っちの御機嫌を損ねるなんて馬鹿げてる。もっとちゃんと良い子にして、めいっぱい黒子っちに可愛がって欲しい。だから我慢、我慢……我慢、出来る、自信が無いっス。
 「待て」の命令を受けたまま立ち尽くすオレを、黒子っちは上機嫌に笑って見ている。新しい首輪は黒子っちもよほど気に入ったみたいで、何度も撫でる指先が喉仏を掠めてくすぐったい。
 だんだんと息が荒くなるのを止められない。極上の御馳走を目の前にして、「待て」を続けるのはかなりしんどい。だけど黒子っちの命令はやっぱり絶対で、守らなくちゃで、わかってるけど、辛いっスよ。そろそろ限界スよ黒子っち、ねえ黒子っち、ねえ、ねえ、ねえ!!
 オレの必死過ぎる目での訴えが通じたのか、黒子っちはこっちを見上げて優しく笑った。
「…おすわり」
 黒子っちが口にした新しい命令に、オレは慌ててその場に跪いた。黒子っちは、手近にあったコンクリートの固まり……たぶん昔使ってた井戸みたいなもんだと思うけど、そこに腰掛けて笑った。いらっしゃいって手招きをされて、転ぶような勢いで黒子っちの傍へ這い寄った。掌と、剥き出しだった膝に小石が刺さって痛かったけれど、そんな些細な事は気にしていられない。
 黒子っちの足元に座り込んで、次の言葉を待ってるオレは、飼い主に忠実な犬そのものだ。早く、早く、もっとオレに命令して! 許可を与えて!!
「黄瀬君…お手」
 ようやく与えられた命令に、喜び勇んでオレは黒子っちに飛び付いた。けれども、触れようとした右手はサッと引っ込められてしまい、途方にくれる。
「黒子っち…?」
「違うでしょう。こっちですよ、こっち」
 言いながらブラブラと遊ばせた足を指差した。ハーフパンツの裾から、スラリと伸びた白い足。目も眩むような御馳走に、オレは躊躇う事無くむしゃぶりついた。
 サンダル履きの右足を両手で恭しく掲げ、親指の爪先にそっと口付ける。触れるだけのキスを三度、四度目にはちょっと欲を出して、舌を伸ばして指の隙間を舐めてみた。叱られるかなって思ったけど、黒子っちは柔らかくオレの頭を撫でてくれた。許された事が嬉しくて、オレの行為はどんどんエスカレートする。人差し指から小指までを順にしゃぶって、ベタベタになるまで舐め回した。
「…おかわり」
 ひとしきり触れた所で、黒子っちに促されて、今度は左の足に触れる。足の甲と踝にキスをして、脛から膝にかけてベロリと舐め上げると、黒子っちは「んっ」って鼻にかかった声を上げた。調子に乗ってパンツの裾から指を差し入れて太腿を撫でたら、ベチリと頭を叩かれる。
 これ以上は駄目? まだおあずけ? だけどそろそろ「待て」は限界だ。黒子っちが欲しい、もっと触りたい、抱き締めてキスしてもっともっと、体中全部舐めて噛んでぐちゃぐちゃのドロドロになって一つに繋がりたい。
「黒子っちいぃ…」
 今、オレの頭に犬の耳がついていたとしたら、それは情けなくペッタリ伏せられているに違いない。黒子っちはそんなオレの様子を見て、それは嬉しそうに、楽しそうに笑った。
「黄瀬君は、ほんとに駄目な人ですね」
「ごめんっス。でも、オレ、もう…」
「お手とおかわりは教えなくても出来るのに、ちょっとの我慢も出来ないだなんて」
「う……でも、だって、オレ、ほんとに黒子っちが好きで、だから……」
「ええ、そうですよね。黄瀬君は、ボクがいなくちゃどうしようも無い駄犬なんですよね。キミみたいなはた迷惑な人は、やっぱりボクが管理してあげなきゃいけませんよね」
 それはきっと、聞きようによっては相当失礼な言葉なんだろう。だけど、黒子っちの口からその台詞を聞いて、オレを支配したのは言いようの無い昂揚感だった。
 だって、黒子っちは言ったんだ。オレには黒子っちが必要だって、傍にいさせてくれるって! これを幸せと言わないのなら、他の何をそう呼べば良いって言うんスか?
「いらっしゃい、黄瀬君。駄目なキミなりに今日はよく頑張ったから、御褒美をあげましょうね」
 そう言って微笑んだ黒子っちは、指で前髪を掻き分けて、オレのおでこにキスをしてくれた。ほんのちょこっと触れるだけのそれは、けれども至福の瞬間だ。
「黒子っち、好き、好きっス、大好き」
「ええ、ボクも、キミの事がだぁい好きですよ」
 堪え切れない衝動に駆られて唇にキスをねだったけれど、今度こそ、「待て」と叱られる声は上がらなかった。





 「普通」の恋人同士って、一体なんだろう。残念ながら、オレにはそれがよくわからない。
 でも、黒子っちとオレの関係が、いわゆる「普通」の道から逸脱しちゃっていることは、馬鹿なオレにもよくわかる。
 オレは黒子っちの飼い犬。そして黒子っちはオレの王様。それってちょっと、普通の定義からは外れてるっスよね?
 だけど、「普通」ってそんなに大切な事とは思えない。だってオレは黒子っちに所有されて、黒子っちの言いつけを守って、そうすれば「好き」って言葉をたくさんもらえて、「駄目な人ですね」って呆れながら、でもめいっぱい愛してもらえてる。
 それだけで良いじゃないスか。それ以上に必要な事なんて、何かあるんスか?
 他人と多少違うところがあったって、そんなの何も問題無いし、目くじら立てるようなもんでもない。そんなの、大袈裟に嘆いて、絶望するほどのことでもないでしょ?
 そんな事よりも今、目の前にいる黒子っちがくれるご褒美の方が、よっぽど大切だと思うから。オレはそれ以上、余計な事を考えるのはやめにした。
 黒子っちがくれる甘いミルクと快楽に、ズブズブ溺れる感覚は、背筋がゾクゾクする程に、癖になる極上の感覚だった。


by 入荷様(09/08/27) site:Childlove

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