逃げる子には首輪を


練習が終わって、夕焼けに染まる空を眺めながら火神君と部室まで歩く。
頭の中はバスケのことでいっぱいで、身体は少しだるいけどとても心地いい。
火神君が隣で「くあぁ」と大きなあくびをした。

「眠そうですね。」
「あのカントクの練習はハードすぎるからな。」
そんなことを言いながら、火神君はとても満足そうな顔をしている。
きっと火神君の頭の中もバスケのことでいっぱいなんだろう。
別々の思考、別々の人間、別々の性格。
だけど、同じことを思ってる。同じ想いを心に持ってる。

あぁ。僕の欲しかったバスケは、ここにある。

強く実感できるこの時間が僕はとても好きだ。

部室のドアを開けるとそこはもう誰もいなかった。
片付け当番の日は大体そうだ。

「さっさと着替えて帰ろうぜ。」
「はい。」

促されてロッカーを開ける。着替えを手にして広げていると首筋に暖かい何かが触れた。

「ひゃ!?」

驚いて振り向くとそこには僕を指差すように手を伸ばす火神君がいた。

「何ですか?」
「黒子、お前その首どうしたんだ?」
「…え?」
「ほらここ、赤くなってんぞ。うしろのとこ。」

もう一度僕のうなじあたりに暖かい指が触れる。
火神君はいつでも体温が高いなぁなんて思いながらその場所を確認するように自分で触れてそれからザァッと血の気が引いた。

「…あ…」
「?どうした?くろ」
「なぁーにしてるッスか〜?」

火神君の声にかぶさるように聞きなれた声が聞こえて、僕の身体は一気に緊張する。冷や汗が吹き出る。

「あ?黄瀬?なんでお前ここにいるんだ?」
「今日は黒子っちと遊ぶ約束してるんスよ♪」
「ほんっとに黒子が好きだなぁ、お前は。」
「当たり前じゃないっスか。」

火神君の苦笑、黄瀬君の軽やかな声。
僕は振り向くことができない。
首筋にあてた手に自然と力が入ってしまう。

「黒子っち?そこ、どうかしたッスか?」
「…いえ、何も…」
「あぁ、なんか赤くなってねぇ?ここ。ほら。」

僕の手を少しずらす、暖かな手。
心臓が一気に活動を激しくする。
体中が心臓になったかと思うほど全身で激しい鼓動を感じる。
だけど僕の身体は動けない。

「え?ちょっと見せてッス。」
僕の首筋に冷たい何かが触れて、暖かい手を引き剥がした。

それが何かなんて考えるまでもない。
黄瀬くんの、冷たい手。
この身体に何度も刻み込まれた冷酷な手。

その冷たい指が僕のうなじをゆるゆるとなでた。

「…ひぅ…」
息が詰まって喉の奥が鳴る。
激しい鼓動と、呼吸できない苦しさと、思い起こされる明確な恐怖。

冷たい手が僕を押さえつけて、
冷たい瞳が僕を射抜いて
冷たい体が僕に熱を叩き込む。

「…大丈夫ッスよ。こんなの、ちゃぁんと消毒してあげるッスよ。」

耳元に寄せられた黄瀬君の声に目の前が真っ暗になる。
足から力が抜けて、ガクリとその場にへたりこんでしまった。

「黒子!?」
「あららー。黒子っち、今日はそんなにハードだったんスか?でも大丈夫、今日は俺んちくるでしょ?タクシー呼んであるッス。」

冷たい手が僕の背中をなでる。
僕に合わせる様に隣にしゃがんだ黄瀬君の顔を目だけで見ればその目には
怒りが。

「…い、や…ぁ」
喉がかれて声が出ない。震えるように搾り出したその声を聞いた火神君も僕の横に座り込んだ。
「なさけねーな。体力なさすぎだろう。」
暖かい手が僕の頭をぐしゃぐしゃとなでる。

そこから広がる安堵感が、さらに僕を恐怖に落とす。
いけない、僕に触れては。今は。

僕が火神君を見るより早く、腕に痛みを感じて視界が一気に変わった。

ポカンと僕を見上げる火神君を見て、自分が黄瀬君に腕ごとひっぱり上げられたんだとわかった。
冷たい手は僕の腕をぎりぎりと締め付ける。

「相当疲れてるみたいッスからね。早く帰ろう?」

黄瀬君は僕の腕を掴んだまま、ロッカーから僕の荷物や着替えを出して部室から出て行った。

ぐいぐいと腕をひっぱられて転びそうになりながら歩く。
後のほうで「おい!?」っと火神君の声が聞こえた。

廊下を歩き、下駄箱で僕の靴もその手に持った黄瀬君にどんどんひっぱられる。
言いたいことはあるのに、僕の喉は音を出してくれない。

「黒子っち早く帰ってお風呂しようね。あんなヤツに触られたから汚れちゃったッスよ。」
校庭にあった小さな石が僕の足の裏に刺さって痛い。
それでも僕は足を踏ん張ってなんとか黄瀬君の手から逃れようともがく。

「あいつなんであんなに風に黒子っちに触るんスかね、汚い汚い汚い。」
黄瀬君の手を掴んで引き剥がそうとする。
僕を掴む腕に力がはいって骨がギシっと嫌な音を立てた。

「黒子っちに触れていいのは俺だけっス。そうでしょ?なのにあいつ、何回触った?許せないっス。」
「はな、して…っ」
なんとか声を絞り出すと黄瀬君は歩みを止めず、それでも僕をギロリと睨んだ。
校門の前に止められた車のドアを乱暴にあけて僕はその中に放り込まれる。

これは…タクシーじゃない。黄瀬君の車だ。
後部座席を隔離するようにある仕切りの向こう、少し見える運転手は僕のことなど気付いてないように動かない。
いつもそうだ。
連れて行かれるときは周りの誰からも邪魔されないようにこの車が来る。
この中でねじ伏せられたこともあった。
記憶に身体が凍りつく。

声も出せない僕に冷たい手がのびて、首筋をなでた。
「黒子っちはかわいいからね、いつああやって悪いやつが触るかわかんないから」
黄瀬君が身を乗り出して僕の首筋にきつく吸い付いた。
「痛っ」
「前より強く、俺の印をつけておこうね。もうこれで大丈夫っス。」
そう言って僕から離れた黄瀬君はニコリと笑った。

「でも、あいつは危険っス。あんな、黒子っちに触りまくりやがって。」
「え…?」
「あんなヤツが触るから、黒子っちが俺から逃げようとしたりするんスよ。あんな悪いヤツは…」
そう呟くと黄瀬君は車から外に出てバンッとドアを閉めた。
思わずドアにしがみついて黄瀬君を見る。

夕焼けに赤く照らされた黄瀬君がさっき僕たちが出てきた部室の方を睨んでいた。
ゾワッと全身に悪寒が走った。

「黄瀬君!?」
ドアを開けようと試みるけどドアはビクともしない。
…チャイルドロック…!?
黄瀬君は窓に近づいて、焦る僕に向かって少し大きい声で言った。

「大丈夫ッスよ。黒子っち。俺にまかせて。」
「なん…っ」
「黒子っちに害をなす悪いヤツなんて…俺がやっつけちゃうッスよ。」

黄瀬君はそういって僕の顔をなでるように窓に触れてそれからくるりと踵を返して歩いていってしまった。

悪いヤツ…?やっつけ、る??
子供じみた言い方に不似合いな黄瀬君の目。
夕焼けを受けて、赤く血のように燃える憎しみの目。
心臓が壊れそうに鼓動を増す。
…火神君!!

「いやぁ!!!黄瀬君!だめです!やめてください!!」
窓をめちゃくちゃに叩いても、やはりビクともしない。
足元に落ちていたカバンで叩いても、ドアを思い切り押しても僕の力程度じゃどうともならない。
「お願いです!あけてください!!あけて!!!」
運転席との仕切りを叩いても何の反応も返ってこない。

火神君火神君火神君!!

暖かい手を思い出す。さっきまで僕に触れていた、火神君の手。

「いやぁああ!!!やめてやめてやめて!!!」
赤く染まった黄瀬君の後姿が僕の視界から消えた。
「やめ…うっ」
グゥっと喉がつまって僕はその場に崩れ落ちた。
「ふ…ぅ、だめ、だめです…っ」

自分の喉を押さえて、さっきの黄瀬君を思い起こした。
僕につけられた、黄瀬君の印。
僕を縛り付けるための、黄瀬君の首輪。


逃げる子には首輪を、そして…
そして、悪いヤツには……?


愛しい時間をつむぎだしていた夕焼けの赤は、もう絶望しか感じさせなかった。


by ぴのこ様(09/09/27) site:ぱすきす

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