わたしが満たされるときみは嘆く | |||||
朝練開始30分前。誰もいない生徒玄関で、静かに下駄箱を開ける。 「…今日は3枚もある。しつこいですね」 靴の上にちょこんと乗っていた封筒を取りだし、ボクは黄瀬と名前が書かれていた下駄箱を閉めた。彼の靴はまだ内履きのままだからまた寝坊したのだろう。 (今度、目覚ましコールでもしてみましょうか) そんな事を考えながら、玄関を後にした。備え付けのゴミ箱に千切った封筒を棄てるのを忘れずに。 黄瀬君がこの帝光中学に転入してきたのは少し前の事だ。転入生が来たという噂は聞いていたが、実際に彼を見たのは、彼が、黄瀬涼太が、バスケ部に見学に来た時だった。初めて見た転入生は、中学生とは思えないくらい大人っぽくて、いわゆる甘いマスクを持った美形だった。(彼がモデルをやっていると聞いたのはその少し後だ。)綺麗な顔をしているのに、性格はイメージと真逆のようだった。 ベンチから遠目で見ていると、黄瀬君がボクを見つけたのか目が合ってしまった。彼は最初驚いた顔をしていたがすぐに表情を緩め、にっこりと笑ってくれた。彼の笑顔は今でも鮮明に覚えている。ボクには眩しすぎる、綺麗な綺麗な笑顔。何よりボクを見つけられた事が驚きだけど、あんな風に笑い掛けて貰ったのは初めてだった。(どくん、とその時急に心臓が大きく鳴って、息が出来なくなり、胸が強く強く締め付けられる感じがした。) 入部した黄瀬君は直ぐその才能と実力を示し、瞬く間にボク達と同じステージに上がった。4人の様なオンリーワンの才能は無かったが、彼のプレイには華があり見る人みんなを惹きつけた。彼はチームで1番の人気となった。だけど腰が低いのは変わらず、いつも4人にいじられては叱られた犬の様な顔をしていた。 「皆さん、もうその位にしておいてあげたらどうですか?」 練習試合の日。その日の黄瀬君はノルマを達成出来ず一番得点が低かった。まあ、相手がよってたかって"新人"の黄瀬君をマークしたのだから無理はないと思う。だけど他の4人は許さず、ネチネチと嫌味を言い続けていた。もちろん本気で責めている訳ではない。(実際、試合は帝光の圧勝だった。)彼らはただ黄瀬君をいじるのを楽しんでいるだけだった。悪趣味にも程がある。 「くっ…黒子っち〜!」 見るに堪えなくなったのでさりげなくフォローを入れたら、黄瀬君はみるみる涙目になって、まるで餌を与えられた犬の様に飛び付いてきた。 (…あったかいです) ボクより一回り大きい体にすっぽりと包まれ、黄瀬君の力強さと温かさを感じ、その時、ボクはどこか変な気分になった。これが何なのかはわからなかったけど、黄瀬君の温かさがボクにも伝導して、不思議な満足感を得たのは事実だった。 黄瀬君いじりに飽きた4人が出ていった後、彼はようやくボクを解放してくれた。 「助かったっス!黒子っちありがとう!」 「…皆、本気で責めている訳ではないですから。あまり気にしないで下さい」 「でも、黒子っちがいてくれてホントよかったっス」 (ボクが、) いてくれてよかった、黄瀬君はいつもみたいな眩しい笑顔で、確かにそう言ったのだった。 「黒子っちがいてくれたから、今までやってこれた…………あれ?黒子っち、何で泣いてるんスか?」 「泣いてる……?」 黄瀬君に言われて初めて、目から涙がぼろぼろと雫れているのに気が付いた。 ボクは、泣いていたのだ。「オレ何か悪い事言った?」と慌てふためいた黄瀬君に聞かれ、涙を拭いながら首を横に振る。泣くのは悲しいからじゃない。 「嬉しいからです」 そう、嬉しいから。 「誰かに、必要として貰えて」 いてくれてよかった、なんて言われたのは初めてだった。ボクは影が薄いせいでいつもいるのかいないのか、いや、別にいなくても構わない存在になっていた。もちろん、バスケでも。 なのに、今、彼はボクを欲してくれている。真っ暗な影から、光に、導こうとしてくれている。 「…ありがとうございます、黄瀬君」 「んー…何だかよくわかんないけど、オレは黒子っちが大好きっス。優しいし、頑張り屋だし。尊敬もしてる。だから、オレには黒子っちが必要っス。黒子っちは、オレの大事な友達っス」 大好き。彼は確かにそう言った。彼の言葉を聞いた時、嬉しくてまた涙が出てしまった。 (大好き、彼が、黄瀬君が、ボクを、大好き。) ボクの涙を見て再び慌て出した黄瀬君に、出来るだけの笑顔で答えた。 「ボクも、黄瀬君がだいすきです」 黄瀬君は、酷い人だ。 彼がボクに「大好き」と言った時の事を、ボクは今でも鮮明に覚えている。(ボクが、はじめて恋をした日。) でも、黄瀬君は誰にでも「好き」と言うのだ。 (酷い酷い酷い酷い酷い) 彼が女の子に「好き」と言ったのはその日から5日後だった。あの日から仲良くなったボク達は、部活以外でも話す事が多くなった。彼とボクが話しているのはやはり周りから見れば意外な事であったようで、周囲からの視線が痛かったけど、黄瀬君と一緒にいられるのが嬉しくて全然気にならなかった。そして5日目、例によって黄瀬君と他愛も無い話をしている時だった。 「ねえ黄瀬君!これ、貰ってくれないかな?」 二人組の女子が、甘い匂いのする可愛い袋を持ってボク達の(正しくは黄瀬君の) 所にやってきた。彼女達はあからさまに頬を赤らめ、化粧で大きさを増した目を潤ませて、黄瀬君を見上げた。 「マジで?オレ甘いモノ好きなんスよー!」 黄瀬君は、満面の笑顔で受け取った。彼は早速袋を開けて、中のこれまた可愛らしいお菓子を口に放り込んだ。女子達は、食べる時もどこかカッコいい彼を見てさらに頬を赤くした。 「めっちゃうまいっス!」 「ホント?美味しかったなら、また作ってくるけど」 右側の髪の長い女子が、待ってましたとばかりに言った。必死だ、と思った。結局は彼と話す口実が欲しいだけではないのか。しかもモノで釣るなんて。黄瀬君は犬っぽいけど犬じゃない。 「ホントっスか?マジ嬉しい!二人共めっちゃいい人だから、オレ大好き!」 何度も耳を疑った。だが彼が彼女達に向かって好きと言ったのは紛れもない事実だった。その時、彼と一緒にいる時の幸せな気持ちが一気に冷めていくのを感じた。 彼女達だけではない。仲良くなってから1週間も経たないうちに、ボクは気付いた。黄瀬君は他人に過剰なまでに「好き」と言う事。「好き」と言うのは友情であれ愛情であれ最もストレートで、最も有効な表現方法だ。彼はそれを知っている。だから彼は好かれ、彼の周りにはいつも人がいっぱいいる。――彼は、いつも満たされている。 でもボクは嫌だった。黄瀬君がボク以外の人に「好き」と言うのが。彼はボクが好きなんじゃないのか?だって、彼はボクに大好きって言ったじゃないか。酷い、黄瀬君は酷いです。 「ボクには、黄瀬君しかいないのに」 日に日に彼と一緒にいるのに苦しみを感じるようになった。なんでも持ってる黄瀬君の隣に、なんにも持ってないボクが座るのはなんだか許されないような気がして。 ある日の昼休み。図書室からの帰りに、以前黄瀬君にお菓子をあげた女の子達がいた。彼女達はあれからもしつこく彼につきまとっていて、彼も、可愛らしくて美人な彼女達がお気に入りの様だった。醜いことに、彼女達はそれを鼻に掛け何時までも何時までも彼の側にいるのだった。 『でさ、黄瀬君がね?』 『わかる!超かっこいい!』 正直ボクはこの人達が大嫌いだった。黄瀬君と彼女達が話す時、彼はボクの存在を忘れてしまう。可愛い女の子との話に没頭して、まるでボクなんか最初からいないかの様にボクを疎外する。彼女達もまた然り。 ボクの体がじわじわと端から消えていく。いつも疎外される度に感じていた。 もし、ボクを必要としれくれた彼がボクを忘れ他の人を必要としたら、きっとボクは消えてしまうだろう。 「消えたく、ない」 無になりたくない。影になりたくない。黄瀬君に必要とされていたい。黄瀬君にボクだけを見てて欲しい。他の人にあの眩しい笑顔を向けて欲しくない。ボクだけに。ボクだけに。ボクだけに。 でも黄瀬君は酷いからボクの気持ちなんてわかってくれない。 だったら、 『ねえ、来週空いてる?』 階段の踊り場に立つ彼女達の後ろに。 『空いてるよ?なんかある?』 彼女達は気付かない。 『黄瀬君誘って、デートしない?』 ボクは"影"だから。 「黄瀬君に近付くな」 彼女達が声の方へ振り返ったのと、細い体が落下するのは、ほぼ同時だった。 きゃああああああという甲高い声と、どさどさと体が転がる音が混ざりあって聞くに堪えない。人が集まる前に、ボクはその場を後にした。 「…ふぅ」 まだ動悸が止まらない。取り返しのつかない事をしてしまったとは思っている。 だが今ボクの心を占めるものは後悔でも罪悪感でもない。ただ純粋な歓び。邪魔なあの人達を消せた。これから黄瀬君はボクだけを見てくれる。 罪悪感なんて何一つない。悪いのは、黄瀬君につきまとう彼女達。きっと、黄瀬君は優しいから、あんな人達でも優しくしてあげてるんだ。本当は黄瀬君だって 、あんな人達に付きまとわれて迷惑しているはずだ。だからこれは黄瀬君のためでもあるんだ。 ボクはバカだ。何故今まで気付かなかったのだろう。黄瀬君が酷いのではない。 悪いのは邪魔な人達を野放しにしているボクだ。幸いなことに、ボクは影が薄いから、次にまた邪魔な人が出てきても同じ様にすればいいんだ。ボクはやっぱり バカだ。どうして、そんな簡単なことに気付けなかったのか。こんなに簡単なのに。もし邪魔な人がいたら、 「邪魔な人がいたら、ボクが消しちゃえばいいんだ……ふふっ…あははは…あははははははは!けせばいいんだ!ボクが!きせくんにちかづくやつはみんなみんなみんな―――ボクが消してやる」 その日から、黄瀬君の周りの人が、少しずつだけど減っていった。いじめられている訳ではない。だけど、クラスメートに止まらずキセキを除いてほとんどの生徒が彼と接触するのを避けていた。(まだ全部の人が諦めた訳じゃないから、下駄箱と机のチェックは欠かさないが。) でも彼はひとりぼっちではない。ボクがずっと彼についている。優しい黄瀬君は避けられている事にとても傷付いている。 「大丈夫。あなたにはボクがいます」 潤んだ綺麗な瞳を見つめ囁くと、黄瀬君は、「ありがとう黒子っち。大好き」と、初めて笑い掛けてくれた時よりずっと眩しく笑ってくれた。 by 聖様 (09/09/13) site:Heliophobia |
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