罵るように愛を謳う | |||||
黒子はストーカーに悩まされていた。 発覚したのはある日を境に毎日送られてくるようになった白い封筒だった。中には熱烈な愛の言葉や黒子の行動を知り尽くしている文面がびっしりと書き連ねてあり、見た瞬間に黒子は吐き気を覚えた。 単なる嫌がらせではないことはすぐに分かった。 黒子の学校での様子だけでなく、学校帰りに立ち寄る店や、そこで何を頼むのか。帰って何をしているのか。相手は全て知っていると手紙は自慢げに公開している。 手紙の主が黒子の家から出てくるゴミまで漁っているのだと知ったのは最近のことだ。 判明してから、黒子は両親に頼んでゴミ捨ての時間を変えてもらうことにした。 回収される寸前に出してもらったなら誰かに奪われることなんてないはずだと思ったのだ。 だが、そうしていても歯ブラシや使った後の割りばしなんかは捨てる気にはならなかった。 当然、ゴミ捨ての時間を変えて欲しいと頼んだ時に、家族に理由を尋ねられたが、黒子は自分がストーカーされていることを打ち明けることなどできなかった。 そしてもちろんゴミが漁られなくなっただけで黒子の不安が解消されるわけではない。 一番心配だったのは、手紙に黒子の友人たちに嫉妬する言葉が一番多く書いてある事だ。 特に部活中に黒子がパスを送った相手に対して、激しい憎悪の感情を抱いているようだった。 自分以外の連中と話すことは不義にあたるとその手紙にはあった。 もちろんそんなわけがない。だが、思い込んだ相手が何をしてくるのか分からないのは恐怖だった。 どうしてこんな事になったのか、白い封筒が届くようになってからずっと考えている。 影の薄い自分が、誰かにこんなに執着されることなんて初めてのことだ。 手紙に書いてある名前には全く憶えがなく、クラスメイトにもバスケ部にもそんな生徒はいない。 見えない相手に恐怖する毎日だ。 このままでは手紙の主が、友人に何かしてくるのではと思うと気が気ではなかった。 「黒子っち、最近調子悪いっスね」 部活でパスを躊躇うようになった黒子に、キャプテンは怪訝そうな顔をしたし、青峰は不満の声を出している。 黄瀬は心配そうな顔で聞いてきた。 黒子はなんでもないですよ、と答えたが、その日は結局、チーム練習からは外されて一人でシュート練習をすることになった。 暗い顔でボールを持つ黒子を見て、練習が終わるなり黄瀬が飛んでくる。 「ねえ、話してくれたら力になるっスよ。何かあったんでしょ?」 「だいじょうぶです」 自分でも何が大丈夫かなんてわからなかったが、黄瀬を巻き込みたくなくて、黒子は隠そうとする。 口を堅く結んだ黒子に、黄瀬はこっそりとため息をついた。こうなっては黒子は絶対に何も言わないだろうと知っていた。 しかし何か深いわけがありそうだと察した黄瀬は、「今日いっしょに帰ろう」と笑顔を向けた。 帰っている間に、何か言うかもしれないと期待したのだ。 二人で帰っていると、普段感じていた不安感が薄れ、黒子は上機嫌で話す黄瀬をありがたいと思った。 今では一人で帰ることは恐怖以外の何物でもなかった。 だが初めは何ともなかったのだが、黄瀬がしきりに後ろを気にし始めた。 その度に首を傾げていたのだが彼はついに疑問を口にした。 「・・・ねえ、なんかおかしくないっスか」 「何ですか?」 「誰かにつけられてるような・・・」 人の気配には敏感なんだと小声で囁く黄瀬に、黒子は鳥肌を立てる。 きっと例のストーカーだ。相手はゴミを漁るだけでなく、黒子のことをこうして見ているのだろうか。 言われてみれば、黒子も背中にべったりと張り付くような視線を感じた。 「気のせいっスかね」 肩をすくめた黄瀬は笑っている。 しかし黒子がなおも見つめていると、ずっと離れた電柱の影に、人影が見えた。 黒子の喉が一瞬にして干上がる。 犯人を突き止めなければと思ったのだが、足が動かなかった。そして相手は黒子に気付かれたと知るやすぐさま路地裏に消えて行った。 「黒子っち?」 「・・・なんでも、ありません・・・」 恐怖に震えながら、黒子はゆっくりと黄瀬についていくことしかできない。 やがて黒子の家が見えてきた。 玄関の前にある郵便受けに、黒子の表情が歪む。 最近、黒子は自分の家の郵便受けを見るだけで動悸が激しくなるようになっていた。だが、出来るだけ家族に見られる前に手紙を回収したかった。 大きく呼吸を吐き出してから「それじゃあ」と黄瀬に手を振ると、黄瀬は嬉しそうに「また明日」と大きく手を振って道を戻っていく。 黄瀬が消えたのを確認して恐る恐る郵便受けを開けてみると、中には封筒がいくつもあったが、真っ白な封筒はないようだった。 大きな疲れを感じながらも逃げるように家に帰った。 だが、その日の晩に遅くに帰ってきた父親は、郵便受けに入っていた新しい白い封筒を持って帰ってきた。 絶望的な気分だったが何も言わずに受け取ると、急いで自分の部屋に戻って開いてみた。 そこに書いてある文面に目を通して、ぞっとした。 『私と黒子を引き離そうとするあいつは何なんだ?偉そうに、私と黒子の関係について口出ししてきた。恋人だって教えてやっても信じてくれない。ちゃんとあいつにも話しておいてくれないと。本当にひどい。ちょっと泣いてしまった』 「・・・誰かが、こいつと会ったんだ・・・!」 もしも家族が隣にいなければ、叫びだしていたかもしれない。 恐れていた、自分の友人がストーカーに会ってしまうという出来事が現実になったのだ。 相手が明らかな異常を示しているという事から恐れているだけではない。 文章から、相手が男ではないかという気がするのだ。それは女性が想いを寄せているという真っ当なものとは異なっており、余計に事態の異常性を黒子に感じさせていた。他の人に相談しにくいのもこれが原因だ。 それに力の強い男であれば暴力を振るわれれば怪我をさせられてしまうかもしれない。 黒子の友人の多くはバスケ部員だったが、彼らが大きな怪我をする事態になれば、黒子は申し訳なくて言葉も出ない。 黒子の予感は的中することになる。 翌日朝練に参加した黒子は、黄瀬が腕に包帯を巻いているのに気が付いた。 昨日別れるまではなかったものだった。大した怪我ではないと黒子の前にいた友人に応えていたが、黒子は真っ白な包帯を茫然と見つめた。 黄瀬は黒子を廊下に呼び出すと黒子に尋ねた。 「昨日のあいつは何なんスか?」 優しい声だったが、真剣な目つきに、黒子のなかで何かが瓦解した。 初めは頬を伝うだけだった涙が、しゃくりあげるものに変わり、嗚咽になる。 泣き出した黒子が落ち着くまで黄瀬は黙ってくれていた。途切れながら黒子は事態を説明した。 「・・・信じられない。なんでもっと早く教えてくれなかったっスか」 少し黄瀬は恨み言を言ったが、泣きじゃくる黒子をそれ以上責めるようなことは言わなかった。 彼は黒子にハンカチを渡してやり、何かの目を気にするように少しあたりを見回した。例のストーカーではなく、黒子を泣かせていると誰かに見られるのを気にしたのだろう。 「警察には届けたんスか」 「被害という被害はまだ受けてませんし・・・なんだか、相手は、男、みたいなんです」 「・・・確かにそれは、相談しづらいっスね」 黄瀬は顔をしかめる。 最近はストーカー被害による事件が多く取り上げられており、警察も熱心に対応してくれると言うのだが、男同士、と聞くとどんな反応をされるのかあまり熱心な対応はされない気がした。 「でもそれで被害が出てからじゃ遅いっスよ!」 「そうですね・・・」 「だから大丈夫。黒子っちのことはオレが守ってあげる」 さらりと黄瀬は言った。 目を瞬く黒子は、数秒遅れて、目の前の整った顔を見上げる。 「・・・え・・・?」 「黒子っちがそんなめにあってるなんて知らなかったっス。手遅れになる前で本当に良かったっス」 黄瀬はニコリと微笑んで、それを見ると、黒子も表情が柔らかくなった。 一瞬よぎった不安が綺麗にかき消される。 誰かに話すことが出来て、強張っていたものが雪水のように溶け出していく。 「怖かったっスよね。一人で頑張り続けたんだ。もう大丈夫っスよ」 そう言って肩を叩かれ、黒子はまた泣き出してしまった。 黄瀬は、黒子の家の郵便ポストを覗いてみた。 黒子のかわりに白い封筒を探すと、1通だけ手紙が入っていた。 その場で開いて、思わず顔が険しくなった。 中から溢れてきたのは黒子の裏切りを糾弾するものと、そんなわけがない。黒子を信じている。あんな男から助け出してみせる、などと矛盾した内容が記されていた。 一読しただけで、黄瀬は手紙をぐしゃぐしゃに握りつぶす。ポケットにねじ込むと踵を返した。 持ち帰る事に意味はない。本当はその場で捨てたって良かったのだが、道端に捨てるわけにはいかなかっただけのことだ。 黒子の家まで来たのは手紙をもらってくるのが理由で、用は済んだ。 この手紙は昨日の夜に書いたものだろう。と歩きながら黄瀬は考える。 もしストーカーが今日手紙を書いたならどんな文面になるだろうか。きっと黄瀬を呪う文章が敷き詰められているに違いない。 だが、おそらくはもう手紙を投函してこないだろうから、見る事はできないのだろう。 いつの間にか黄瀬は小さな笑い声をあげていた。 「お前なんかに渡すわけないっス」 独り言のつもりだったが、もしかするとどこかで聞いているのかもしれないと思った。 黒子のストーカーが、今では黄瀬の後をつけている可能性は充分にあるのだから。 黄瀬は少し考えると少し大きな声で言ってみることにした。 「気持ち悪いストーカーさん。アンタのおかげで黒子っちは本当に苦しんだっスよ。あの黒子っちが泣くほどなんてとんでもない事っス。オレは絶対、アンタを許さない。もしもオレの前に出てきたら絶対に後悔させてやるっス」 少し待っても返事は返ってこなかった。 ストーカー本人が黄瀬の前に殴り掛かってくる、という事はないようである。 内心、それを期待していた黄瀬はがっかりした。もしおめおめと出てきたら、先ほど宣言したように絶対に後悔させてやろうと思って、こうして無防備に黒子の家にやって来たのだから。 これ以上は意味がないことに気付いた黄瀬は、ちぇっと舌うちすると今度こそ帰ることにした。 本当に面白くない。 「・・・あんな奴のせいで黒子っちは心に傷を負っちまったっス。許せない。黒子っちを傷つけて良いのはオレだけなのに」 ストーカーに聞かせるための独り言だったのに、つい小さな声は続いてしまった。 行き場のない怒りが口をついて出てきたのだ。 黄瀬は道に転がっていた角のとがった小石を蹴り飛ばした。 「やっぱり・・・こんな事がないようにこれからは黒子っちはオレが守ってやらないと。お外は怖い場所なんだから、オレの家にずっといたら良いんスよ。黒子っちは嫌がってるけど、やっぱり間違ってないっスよねえ」 小石は道の端に生えている雑草に飛んで行き、見えなくなった。 それを見届ける黄瀬の表情は、いつの間にか笑顔が戻っている。 不愉快なストーカーのことではなく、昨日の事を思い出していた。 黒子を自宅に招待した黄瀬は黒子を部屋に閉じ込めることにしたのだ。 突然の事に黒子は難色を示したが、ストーカーから守るためだと言うと納得してくれた。 これで黒子がストーカーの目を気にすることも手紙を受け取ることも、絶対になくなったのだ。 「今日はお寿司でも取ろうかな。黒子っち、お寿司好きかなあ」 黄瀬は家で待っているであろう黒子を思い出しながら、足取り軽く歩き出した。 ストーカーの問題が片付いても、黒子は黄瀬が守ってやるべきなのだと思った。 もしも黄瀬が問いたださなければ、あと数日もすれば黒子はストーカーに誘拐されていたかもしれない。もし手遅れになっていたらと思うと恐ろしくてたまらない。 これからはずっと一緒だと教えてあげたらどんなに黒子が喜ぶだろう、と思うと、黄瀬は嬉しくて小走りになりながら帰って行った。
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