恋毒(こどく)に侵されて | |||||
中学時代、黄瀬と黒子が仲が良かったかと聞かれれば「それなりに」と黒子は答えただろう。 確かに、悪くは無かった。 黄瀬が部活の時間など目をキラキラさせて「黒子っち!」とタックルするように飛び込んでいった時に、それを黒子がヒラリと受け流したのも自分の一回りも体格が上の男に体当たりされれば、黒子のダメージが計り知れないことから、当然だった。 けれど仲が良かったかと言われても首を傾げるのは、その部活の時に黄瀬がやけに飛び掛かること以外に何のアクションも二人の間にはなかったからだ。 黄瀬は学業と部活以外にモデルとして働いていた。その副産物に女性に囲まれることは多く、それに比べれば黒子といる時間なんて微々たるものだ。 仲が良い友人というものを休み時間などに一緒にいると分類した場合、黄瀬は特定多数の女性がそうだとなるだろう。 黒子は黒子で他の連中に比べれば劣る体格でバスケの強豪校で生き残るのに精一杯だった。当の黄瀬がレギュラー入りしてからはいよいよ油断できなくなり、むしろそういった二人の関係を見れば、本来敵対視するべきところだ。 しかも 「黒子っち、俺黒子っちと一緒にコートに立てるっスよ!」 「そうですか」 「いや〜、たった半年でレギュラー入りできるなんて凄いって、女子がえらく褒めてくれたっス!」 「・・・そうですね」 「そんなに大袈裟な事じゃないのにねえ。ね、黒子っちも俺を褒め…あれ!!黒子っちどこ行っちゃったっスか!?」 黄瀬は始終こんな調子で、むしろ関係が悪くらないだけマシだと言えた。 当の黄瀬はなぜ黒子と仲良くなれないのかが分からないようだったが、黒子は「君を見ているとイラッとします」とはっきり理由を述べていた。 必ず女性をはべらせながら挨拶してくるのに、気分がよくなるはずもない。 むしろなぜ相手は自分と仲良くしてこようとするのかが、黒子には分からなかった。 不思議なことに黄瀬は、どんなに袖にされても黒子の側を離れようとはしないのだ。 道を歩けば誰もが振り返る容姿と、同じ男性として羨ましい体格。スポーツの才能と、黄瀬は余りにも完璧だった。 自分が望むものは全て手に入ると思っているのではないかと、黄瀬の蕩けるような笑顔を見る度に黒子の胸は塞いだ。 僻みたくない気持ちはあっても、黄瀬を見れば自分の中の小さな自尊心がチリチリと痛む。 それは大きな痛みではなかったが不快には違いない。 おまけに黄瀬の近くに居れば必ず自分も注目の的になり、目立ちたくはない黒子には具合が悪かった。 しかし相手は追い掛けてくる。 「黒子っち!やっと見付けたっス!」 この日もコートの隅でドリブルの練習をしている黒子を見付けて黄瀬がやって来た。 ボールをつく手は止めないまま、黒子は黄瀬を見上げる。 「・・・何の用ですか」 今が練習時間であったため、お喋りは好ましくはなかった。 小さな声で尋ねると、黄瀬は聞き取ることができなかった。というように首を傾げる。 「用がないのに来ちゃ駄目なんスか?」 こう言う間、黄瀬もドリブルをする手は止まらない。 手元を見ないでボールを操るのは部員全員ができる基本中の基本だったが、黒子は結構時間がかかった覚えがある。 それも、黄瀬は一瞬で会得しているわけだが。 黄瀬の手元に一瞬視線を落とした後、黒子は冷たく言った。 「用もないのに来ないでください。キャプテンが睨んでます」 「キャプテンの目付きが悪いのはいつもの事っスよ!」 ケラケラと、黄瀬は何が楽しいのか声を出して笑い出す。 ますますキャプテンの目付きが鋭くなるのに気づいて、黒子は目線で制した。 別段こちらを見ていたわけではなかったのに、黄瀬が笑ったせいで注目されてしまっている。 「離れて下さい」と、黒子は身振りでも示した。コートの隅にいる黒子は、自分から黄瀬を押し退けて中央に行くしかない。 わざわざ隣でドリブルを始めたが、黄瀬は本当に何の用もないのだった。 つれない黒子にも、黄瀬は眩しい笑顔を向ける。 「でも俺、黒子っちのそばに居たいっス」 真っ直ぐ見つめてくる目に、黒子は思わず顔を反らした。 こうして黄瀬に付きまとわれるのに苦しさを感じる。 「・・・そんな言葉、女の子にも普通に言っているんでしょうね」 「何か言ったっスか?」 「いいえ。黄瀬くん、暑苦しいので少し離れてください」 黒子から返答に黄瀬は傷付いたのか、悲しそうに顔を歪めて、一歩下がる。 それを見るとまた、どうしてか黒子の胸は痛むのだ。 きっと罪悪感だ。と思った。 黄瀬を傷つけたいわけではないのに、なぜか黒子は黄瀬を悲しませてばかりいるのである。 けれど全て黄瀬が悪いのだとも、黒子は自分を擁護する。 傷付くと分かっていながらこちらに来るのが悪い。 おかげで黒子まで、こんなにも胸が苦しくなるではないか。 (どうして、黄瀬君はいつも、ボクと一緒にいたら悲しそうなんでしょうか) 思い返しても自分は当たり前のことしか言っていないと言うのに。 にも関わらず必ず傷ついたという顔を前面に出す黄瀬。そんな顔をされて黒子が嬉しいはずがない。 黄瀬が傷付くだけ、黒子も傷ついていた。 いっそ懲りずに付きまとってくる黄瀬が憎くもある。 彼が来なければ、黒子もこんな思いをすることもないのだから。 だから黒子はじくじくと痛む胸をかかえて溜息をついていた。 (どうすれば黄瀬君は諦めてくれるんでしょうか・・・) 部活が終わった帰り道。 一緒に帰ることも多かった青峰が休みがちになってから、黒子は人知れず帰る日が増えた。 しかしこの日は運悪く黄瀬に捕まってしまったのだ。他の口実も見付からず、しぶしぶ黒子は黄瀬と一緒に帰るしかない。 「これがその時、佳奈ちゃんから貰ったやつっス」 常にハイテンションの黄瀬は何か話すことはないかと考えあぐねた結果、今日あったことを話始める。 それが見事に女子の話ばかりなのに、黒子は辟易していた。 「君の自慢はもう良いです」 「自慢じゃないっスよ!?ほらこれ、黒子っちにどうかな、って」 「君が貰った物でしょう」 貰い物だと言う手編みのマフラーを押し付けようとする黄瀬は、何なのだろうか。 「見た瞬間黒子っちに似合うと思ったっス」なんて、女の子に対して言うような甘い笑顔に騙されず、黒子の気分はささくれ立つ。 少なくとも黄瀬は、このマフラーを首に巻いている黒子を見た佳奈ちゃんとやらの気持ちは全く考慮していないらしい。 (そんなものを渡されるボクの気持ちも。・・・君は何も考えていないんですね) 怒って、さりげなく歩く速さを早めても、黄瀬は余裕で追い付いてくる。 ただ、黒子の怒りに気づいたらしく非常に慌てていた。 黄瀬は不思議と、何も言わない黒子の気持ちを読み取ることだけは長けていた。 もしもその理由にも気が付くことができたなら、どんなに良かったことだろう。 「怒ったんスか?ごめん、俺また黒子っちを怒らせること・・・」 「ボクが何に怒っているのか分かりますか」 「・・・・・・」 「分からないなら謝らないでください」 いっそう情けない顔になった黄瀬に、黒子の機嫌はまた悪くなる。 (また黄瀬君はこんな顔をする) そして普通ならどんなに仲の良い友人だってこうもギクシャクとすれば喧嘩状態だと言えるだろう。 相手は黒子から離れていくのが普通だった。 けれど黄瀬と黒子はそうはならない。 黄瀬は全てを諦めた顔で、粛々と謝るのだ。 「・・・ごめんっス」 「――謝らないでください」 暗澹とした黄瀬を見ていると、次第に黒子の胸には苛立ちを超えて悲しみが訪れる。 (どうしてこう。なんでしょうか) もう一度言うが、黒子は黄瀬を悲しませたいわけではないのだ。 なぜいつまで経っても黄瀬に普通に接することができないのか、黒子は悩む。 黄瀬が異常に女性に人気が高いのも、バスケの才能に恵まれているのも、全て明らかなことだ。 いつもであれば黒子も諦めて前だけを見ていける。バスケの才能も自分だけにしかできない部分は持っていて、それを伸ばすのは誇りさえ感じるのだ。 けれど黄瀬を見ているとどうしてもイライラして、まるで八つ当たりをするように酷い対応になるのだ。 黒子はそうした自分が嫌だった。 (けれどもうしばらくの辛抱です) もうじき黒子たちは高校生になる。 そこで黄瀬とは違う学校を選んだのだ。だからもう黄瀬に付きまとわれることもないのだと。 そうすればこんなことは2度とない。 正体不明のイライラと自己嫌悪の連続パンチを受けるのはもうこりごりだと、黒子は溜息をついて。 そんな黒子を恐々と見ながら、しばらく黄瀬も何も言えずに二人は並んで帰っていた。 あっという間に中学最後は過ぎ去り、黒子は高校生になった。 新しい学校になって、一番何が変わったかと言われれば、黒子は「キセキがいないことです」と答えただろう。 誠凛ではパスの能力は重宝され、黒子は初めからレギュラーであった。 眩しいばかりの光の中で、消えないように必死で足掻いていた中学時代とは比べ物にならない。 離れた今になって、心の重圧たるや生半可なものではなかったのだと改めて感じた。 そして常に心を覆っていた閉塞感がなくなると、暫くすれば中学時代が懐かしくなってくる。 高校生になって変わったもうひとつの違いにも気付かないわけにはいかなかった。 「黒子っち〜!」と遠くから駆けてくる声はもう、どこにもない。 部活中、ちょっとした折りに黒子がふと立ち止まる理由を誠凛のみんなは知る由もない。 まさかこうした合間に黒子にまとわりついてきた人物が、まだ居るような気がしているだなんて。 (どうせ黄瀬君は今頃、海常で楽しくやっています) どこに行っても一等星のように輝く彼は、女の子にちやほやされて鼻の下を伸ばしていることだろう。 存在感が薄いと自他共に認める黒子のことも忘れているに決まっている。 そこまで考えて、黒子はわずかな痛みを感じた。 (・・・なんなんでしょう。この痛みは) もうレギュラーの座を追われる心配も、目の前でモテ自慢されることもないのに、去来する痛みは黒子にとって予想外だった。 まして人に忘れられることが慣れっこな自分が。 (黄瀬君がボクの知らないところで、彼女を作っていると考えたら・・・) 「黒子、どうかしたのか?」 思わず胸を押さえ息を止めた黒子に、伊月先輩が気付いて声をかけてくれる。 この先輩は存在感の薄い黒子もよく見てくれていた。 慌ててそれまで考えていたことを頭から消し、黒子は首を横に振る。 「いえ。少し疲れただけです」 「お前は体力無さすぎるよな」 細い目を柔らかく細めて小さく笑われる。 よく練習について行けずにへばっている為、黒子の運動能力の無さは既に部員全員が知るところとなっていた。 中学時代と違う点はここにもあった。誠凛はバスケ部員が少ない。中学バスケの強豪校であった帝光では余りに人数が多いので部員全員に目が行き届かず、こっ そり休むこともできたのだが、こちらの環境ではそうはいかないのだ。 見た目は細身の伊月先輩さえ、服を捲ればがっちり筋肉がついていて、何度差を感じたか知れない。 キセキの連中とは比べるだけ虚しいので考えないようにしていたが、黒子は運動部の平均からは明らかに劣っているのだ。 二人の会話に気が付いてカントクことリコ先輩がやって来てにやりと微笑んだ。 笑顔はまだ可愛いが、内容は鬼のようだった。 「よし、黒子君はこれから毎日部活終わったら腹筋、背筋100回づつやろっか」 「無理です。死にます」 「ふっふっふ、大丈夫。死ぬ前に助けてあげるわ」 結局試したもののどちらも30回あたりでへばった黒子に、リコちゃんは溜め息を溢したのだった。 しかし (黄瀬君も今頃こんな思いをしているのでしょうか…) この時でさえ自然とそう頭に浮かんだ黒子は、慌てて考えを振り払った。 重症だった。 こうした新しい日々は楽しくて忙しくて、黒子はようやく雑念を払うことができる。 しかし懸命になるということはそれだけ気になると言うことだ。 不意に襲い掛かる寂しさは何度も黒子の胸を刺激した。 つまり黄瀬が今一体何をしているだろうか――とか、先輩とはうまくいっているだろうか――とか、彼女でもできたのか――とか、そんなとりとめのない事だ。 黒子はその思考にはまるのを何としても避けなければならなかった。なぜなら、やはり黄瀬は自分など忘れただろう。と結論はいつも同じで、黒子は落ち込むことになるからだ。 なぜこんなに気になるのかと言えば、あんなに中学時代最後の方に付きまとわれたために違いない。 それ以外に理由などあるはずがなかった。 しかしどんなに黒子が部活に専念したとしても、黄瀬の顔はよく目に入り、その度に黒子のささやかな努力は無駄になる。 部活帰りに本屋に寄った黒子は、すぐに入り口近くの雑誌コーナーにあの顔が実物より大きく微笑んでいるのに気付いた。 店の片隅にあったとしても、不思議と黒子の自然は吸い寄せられるのだ。 紙面で誰にでも等しく甘い笑顔を見せる彼。それを見て喜ぶ少女たちをみるにつけ、黒子はつくづく世界の違いを思る。 (これで当たり前なんです) 分かりきったことを、何度も確認させられる。 (そもそもボクは黄瀬君を楽しませることなんてできないじゃないですか・・・) ある土曜日、黒子は偶然黄瀬に出会った。 「黒子っち、今日暇?」と聞かれて思わず「はい」と答えてしまった。 言った後で部活に行くところだったのに、と思ったのだが、黒子が休みと聞いた途端に弾けるような笑顔になった黄瀬に続く言葉を飲み込んだ。 (後で先輩に風邪をひいたから休むって電話しましょう) ドキドキしながら、黒子はもう、そう決めていた。 黄瀬が自分のことを忘れていないだけでも嬉しかったのに、彼の笑顔は中学時代でも滅多に見ることができなくて、黒子は嬉しかったのだ。 久し振りに黄瀬の家に遊びに行くと、どっさりお菓子と雑誌を出してもらった。 「黒子っち、このお菓子好きだったっスよね?あ。これも美味しいって評判なんスよ」 食べきれないお菓子の山に、きっとこれは誰かからのプレゼントなんだろうな。と黒子はわずかにひっかかったのだが、そんな不快感を補って余りあるのが黄瀬の様子だった。 黒子が見ている前でも躍りだしそうな彼に、思わず笑ってしまう。 「黄瀬くん、何をそんなに慌てているんですか」 黒子はさっさとソファーに座らせたものの、黄瀬は家に帰ってから腰を下ろしていない。 指摘されて黄瀬は少し赤くなりながらもごもごと何かを呟いて、黒子の前の席に座った。 「最近写真集が出たそうですね」 「う・・・うん!ええっ!?黒子っちも見たっスか?」 「少しだけですが」 残念ながら黒子は売り上げには貢献していない。 モデルの写真集にしては予想以上に売れたらしく、どの書店でも完売していたのもあるが、もしそうでなくとも流石に、買いはしないだろう。 何より必死で黄瀬のことは忘れようとしていたこともある。 しかし黄瀬はとても感激したようだ。 「嬉しいっス!おれ、黒子っちがカメラの向こうにいると思いながら撮影したっスよ」 「またそんな・・・」 誰にでも言う文句だろうと、かつての黒子なら不機嫌になっただろうが、今では全て懐かしいばかりだ。 それにストンと胸の中に落ちてくるような気がする。 「あ、ねえ。黒子っちが好きそうな本を最近読んだっスよ。これなんスけど・・・」 そう言って黄瀬が本棚から文庫本を取り出した。 受け取り粗筋だけ読んだ黒子は、確かに自分が好きな系統で、一読しただけで続きが気になってしまう作品なのに目を見張る。 (そういえば黄瀬君はやけにボクの好きなものを知ってましたっけ・・・) 思い出して、借りても良いですかと尋ねると、モチロンっスとニコニコされる。 これでまた黄瀬の家に来る口実ができたと、内心また気分がよくなって、黒子ははたと動きを止めた。 (何を馬鹿な・・・でも、黄瀬君はボクを覚えてくれていたのだから、また来ても良いですよね) 自分を励まして、一旦本は机の端に置いた。 なぜか顔が赤みを帯びているような気がしてグラスを手に取る。 冷たいオレンジジュースを飲みながら、ずっと嬉しそうな黄瀬を盗み見た。 (黄瀬君がボクと一緒にいて、こんなに嬉しそうにしているなんて初めてです) 黄瀬の悲しそうな顔ばかりを見るたびに、黒子はつまらなく思っていた。 本来黄瀬はこんな顔ばかりをする人物ではないことは知っていた。 女の子たちに囲まれる彼は、まさに王様のように輝いていたから。どんなに可愛い女性が隣にいても、黄瀬の隣にいれば引き立て役の花でしかない。 なぜその笑顔が自分の前にいれば途端に曇るのか。 ふと、昔はそうではなかったことを思い出す。 始めの頃は黄瀬は自分に会うだけで妙に浮かれていたのだ。 今の彼はそんな頃の彼のようだった。 つられて微笑む黒子に、黄瀬は目を丸くする。 「黒子っち嬉しそうっスね」 「黄瀬君こそ」 「俺は黒子っちが嬉しそうだから嬉しいんスよ」 「ボクもです」 謎かけのような会話に、しばし黄瀬は考え込んだようだ。 黒子の顔を覗き込んだ後ホウと零したのは安堵の笑みだった。 「本当だ」 一瞬、黒子は戸惑った。 まるで黄瀬が自分の頭の中を読み取ったように思えたからだ。 黒子は恥ずかしさをまぎらわすために、少し離れた場所にあるお菓子に手を伸ばした。 クッキーを口に入れると、さくり、と軽い音がした。 Fin ... |
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